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2020.01.07 ニンビンの洗礼

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よく眠れたが、疲れが取れたわけではなかった。

重い身体をやっとこさ動かして、地元感あふれる食堂でフォーを食べる。

やはり今日のフォーも、つけ麺式。もちろん美味しいのだが、食事にかける時間が日本でのそれより早い気がする。食べ終わるために食べているような感覚。これは、不慣れな食事に身体がリラックスできていないためか、それとも周囲の食事スピードが速いためか、最後までよく分からなかった。

出発前に見かけたスタンプ屋で、MIZの似顔絵スタンプを作ってもらうことにした。3日ほどで仕上がるようなので、これから向かうニンビンで録音を済ませ、ハノイに戻ってきたら受け取ることになった。

14時40分。砂だらけのベンツ製リムジンバスがホテル前に到着し、ギターやスーツケースを押し込む。シートは快適だし、冷房も効いていて心地よく、5年前も利用すれば良かったなどと考えたが、このシートの対価を支払う財力なんて当時には無かったと、思い直した。

ふと車窓の方を向くと、わずか30cm先に知らないおばさんの顔があって驚く。

バスが狭い道を徐行するから、通行人はギリギリぶつからないところまで避ける。しかし、路上駐車のバイクなどがあってそれ以上避けきらないから、おばさんは路駐バイクと僕らの間に挟まれながら、バスが通り過ぎるのを待っているのである。

バイクと車が縦横無尽に行き交い、クラクションが自転車の鈴くらいの感覚(間隔)で鳴らされる。改めて交通量の多さに目を見張りながら、30分ほど揺られるとバスは幹線道路に合流し、その頃にはバイクもほとんど見られなくなった。道路の脇に水田が広がり始め、なんだか呼吸が楽になってくる。

そこで初めて、ハノイの都会が息苦しかったことに気づいた。思っていたより時間の流れが早かったのかもしれない。ご飯が出てくるのも早いし、青信号をしっかりと待つバイクは一台もなかった。建物も古いし、街路樹は小さな森と化していたから、故郷にも通ずるユッタリ感という勝手なイメージに支配されていたのだろう。実は、ハノイは都会だったんだ。

窓の外に広がる水田と錆びかけたトタン屋根を見つめながら、僕の求めていた風景は、むしろこれから広がってくるのかもしれない、と思った。

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17時ごろ、ニンビンブラザーズホームステイに到着した。

写真で見たより美しい赤の壁、2Fのファミリールームは天井も高く、「いい感じに録れそうだね」とエンジニアの奥田さんが言う。さらに、背丈より遥かに大きいガラス窓を開ければ、見晴らしのいいテラスが。見下ろすと小さな草原が広がっていて「気持ちいい〜」とはしゃいだが、のちに草原ではなく藻で埋め尽くされた池であることが分かった。アヒルが泳いでたから。

ホストファミリーも愛想がよく、親切な夫婦。ご飯も美味しいと聞いていたので、この宿には運命しか感じられなかった。

唯一、洗礼を受けたのはトイレで、ベトナムでは、下水処理の問題でトイレットペーパーを流すことができない。備え付けのシャワーで洗浄してから、トイレットペーパーで拭き取ってゴミ箱に捨てる。それは理解していたが、いざ用を足そうとしたところ、トイレットペーパーがないことに気がついた。まさかと思いながら他のメンバーの部屋に入っても、見つからない。

この地方の風習なのか?この宿の掟なのか?いや、そんなバカな話が、しかし無いということは、おそらくそうなのだろう。大変なルールの土地に来てしまったと嘆きながら用を足し、備え付けのシャワーで入念に流したのち、不快な気持ちで下着とズボンを履いて外に出たらホストマザーがトイレットペーパーを設置しようと外で待っていた。

ゲストが来てから、シーツやアメニティを用意するゲストハウスもある。このユッタリ感を、僕は求めていたんじゃないか。ホストマザーから新品のロールを笑顔で受け取って、トイレに一旦戻った。

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少しのんびりした後、ファミリールームで機材のセッティングが始まる。ファミリールームはリビングと寝室の2部屋なので、リビングが演奏を録るためのスタジオに、寝室がマスタールームになった。あとは録るだけというところで、ひとまず食事をとることに。

この宿での最初の食事は、豚のカツレツ、家庭料理だった。フォーと春巻きに一旦飽きが来ていた僕らは、夢中で食べた。やっぱり、ごはんおいしい。

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食事後、またのんびりしてから、録音。窓を開けると鈴虫の鳴き声がよく聞こえたので、「夏の終わり」から録ってみたのだが、2時間やってOKテイクが出なかった。食べ過ぎてつらい。この録音旅行において、オン/オフを自分で決めなければならない難しさを知った。

録り音の調整はできたので、ひとまず明日から頑張ろうと、24時間営業のスーパーにお酒を買いに行く。スーパーというより昔の駄菓子屋で、家1軒の広さに対して携帯1台分の明るさしかない店だった。トタンの扉をくぐると、壁中にスナックやカップ麺、おもちゃが掛けられている。

奥の座敷からおじさんが降りてきて、注文を聞かれた。冷凍食品の保冷機みたいのに手を突っ込んで、ハノイビール、サイゴンビールを取り出してくれる。よく冷えておいしかった。

この夜、アルバムタイトルを、その後4日間お世話になるニンビンブラザーズホームステイから借用するのが良いのでは、という話になった。タイトルやら、ジャケットやら、作品を取り囲むイメージは定まってきた。あとは録音だけだ。

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昨日のハノイのホテルとは違って、ベッドは広いのが2つあるが、その夜は寝付けなかった。思ったより録音が進まなくて、不完全燃焼だったからかもしれない。

成順が「斉木楠雄のアニメを見ると安眠できる」というので、イヤホンを外して、僕も斉木楠雄に耳をすませてみた。成順のベッドが遠くてセリフが全く聞き取れず全然眠れなかった。聞き取りたいと願えば願うほど目が冴えてくる。成順の寝息が聴こえてきて、聞き取れてるからだ、いいなと思った。

斉木楠雄も喋らなくなって、30分ほどだろうか、天井を見つめていたら突然、

「ァァ〜ッッッ!!!」

という女性?の悲鳴が聞こえた。一旦ベッドから降りて、いや、寝室から出たところでどうすると、またベッドに戻る。

「ァァ〜ッッッ!!!」

また聞こえた。事件かもしれないという緊張感と、自分には何もできないだろうという不安に襲われながら、しばらくどうするべきか考えていた。

「コケコッコー!!!」

一瞬驚いたが、深夜に突然ニワトリが鳴き出して、それに呼応するように「ァァ〜ッッッ!!!」という声が聞こえてきた辺りから一気に眠くなって寝た。

「コケコッコー!!!」
「アア〜〜〜ッッッ!!!」
「コケコッコー!!!」
「アア〜〜〜ッッッ!!!」
「アア〜〜〜ッッッ!!!」

特殊なニワトリの鳴き声が、斉木楠雄よりよく聞こえたのは言うまでもない。

聞き取れたから、眠れたのだ。

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