2021.5.13

朝ごはんを食べる習慣が戻ってきた。起床時間が早くなったからだと思う。

制作中は昼過ぎに起きていたから、同居人が注文したモスバーガーとかマックだとかを食べて、その後は何も食べないことが多かった。

「マンマミーヤ!」というご飯ソングを作っておきながらこれだけ杜撰な食生活を送っていることは、医者の不養生、警察官の犯罪、朝青龍のサッカーかも知れない。

しかし、別に音楽でなくとも集中しているときに食事のことを忘れてしまうのは、誰しもに起きうる状態だと思う。それどころか、別に暇だろうと食事のことを考えている人は少ないのではないか。

僕も「気分」がない人間だから、今日は何を食べようと思ったことは一度もないし、友人に何食べたい?と聞かれたときは「焼肉か寿司」というリッチなのにどこか切ない返答を繰り返した。

タイタンにその話をすると、彼も食の気分をあまり持たないようで安心した。ところがそれで終わらないのがタイタンという男で、そういうときは「蕎麦」と即答するようにしているらしい。それ以降、僕も「焼肉か寿司か蕎麦」と答えるようにしている。

もっとあるだろ。そう思いながら、いま捻り出そうとしてもピザとタイ料理しか出てこない。焼肉か寿司かコンビニ弁当しか食べずに一生を終える可能性は依然として残されている。

情熱大陸に出ていた『進撃の巨人』作者の諫山創も16時起床でコンビニのメロンパンを食べていたし、クリエイターに密着した映像に手作りの美味しそうな料理が出てきた試しがないから、そういうものだと慢心していた。

ところが池波正太郎は、起床して仕事に取り掛かる前に、まず妻に夕食の献立を尋ねたという。それが気に入らなければ自分の望む献立をメモ帳か何かに書き連ねて、朝から八百屋や肉屋で食材を買い揃えて回った。

そして、その献立と食材を妻に渡し、それだけを楽しみに日が暮れるまで執筆に没頭したというのだから、頭が上がらない。

最近タイタンの朝食論を聞いたこともあり、朝くらいはまともなものを食べるという気運が高まってきた。

玉ねぎとピーマンを乗せたピザトースト、ウインナーと目玉焼き、レタスとトマトのサラダ、コーンポタージュ。これらを毎日欠かさず食べるようにしている。

池波正太郎と違って、そのあとに仕事が始まるわけだが、なぜか同じような喜びを感じている気がする。彼は食事を摂取する喜びだろうが、僕の場合はちゃんと朝食を作って食べたという達成感である。

まともな人間として生きております、という気がして制作中の鬱ノイズが減少することが分かってきている。

僕は「マンマミーヤ!」を作ったときに、食事の最上の喜びは、これから食べる何かが食卓に並んでいるのを眺めるときだ、と考えていた。そして願わくば、誰かが作ってくれたものであってほしいと。

それは間違いないだろうけど、自分で作ったものでもこれだけ満足があることは大きな発見である。そして、なんなら達成感で言えば皿洗いも食事の喜びと化してきた。

汚れた食器を眺めながら、これ洗うのか〜と思うとき妙な恍惚感が込み上げる。僕はいま、皿洗いを楽しみに生きているのかも知れない。

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