2021.5.2

MONO NO AWAREの全アートワークをデザインしてくれているTと朝から話した。

Tは、小さい頃からの幼馴染で、年は下だがよく遊んだ。中学校の頃は、ゲームキューブでひたすらパワプロをやって、Tの祖母に彼もろとも叱られた。ヤベっ、と思いながら荷物をまとめて帰るあの瞬間は、当時は気まずかったが今では眩しい。

それに彼は漫画を好きだったから、当時ジャンプに連載していた「バクマン。」の主人公に倣って、僕が原作を、彼が絵を描くスタイルでネームを作ってみた日々もあった。

そんな彼と高校時代の話になって、僕が高校の文化祭で「3D映画」を上映したことを思い出した。大した話ではなく、映像作品と舞台演劇を混ぜた映画だったのでそういう名前になったのだが、これを作るのにはかなり苦労したし、同級生にたくさん迷惑をかけた。

どうにか出来上がったその作品は、満足とはいかないまでも、50分の超大作に見えて、複雑な誇らしさを感じていた。今思い出すと高校生の平均値を下回る出来だったと思うが、それを見た後輩のTは、翌年の文化祭に向けて闘志を燃やしたと言う。

最近もPodcastで読書感想文でなんか受賞した話をしてタイタンから「読書感想文を自慢し出したら終わり」と言われたが、僕は何度同じ過ちを犯すのだろう。

しかし恥ずかしながら、Tにそう言われたことが嬉しかったのである。作品性を評価されたのではなくとも、なんかやる気になった、そう言われることが嬉しい。

バンドも別に誰かに影響を与えようというつもりでやっているわけではないが、たまに同じ遺伝子を感じるような何かに触れたときにそういう喜びを感じる。

それは、昨日も書いたけど、誰かとの接点を持っている気がする、という意味での充足感だと思う。

Tがその後製作した映像作品の一部を見せてくれたが、面白いとも言えるしそうでないとも言えた。おそらく僕が監督した当時の映像も、同じくらいか、それ以下だろうと思う。

だけども、作った意味があったなあと、後から感じられるだけでよい。

その上で、現在さまざまなプロジェクトに関わって忙しいTと、いまだに一緒に仕事ができていて良かった。

そんなにクオリティが高くないことは自分でも分かっているはずなのに、思わず見せてしまう気持ちとか、その時の彼の顔は僕もよくする顔だから。

Tとメンバーと新しいアルバムのアートワークについて話し合ったとき、「糸」をテーマにしたいと伝えた。糸は、それ自体が撚られて出来ているし、さらにそれが織られて布になったり、縫われて刺繍絵になったりするところが可愛かったから。

なんとも言い表わしづらいが、「糸」的な存在のしかたが、僕が求めるこの世の生き抜き方というか、楽しみ方だった。それは、先に書いたような、影響を与えたいとまでは思っていないが自然と影響しあっていることに気づいたときの安心感に近い。

それを言葉ではないが、絵面で表現されたアートワークにTがしてくれたと思う。漫画を描いたりパワプロくんにバットぶん回させてた頃より、意思の疎通も早い。

彼と繋がり続けていることは幸福なことだと、いまさら実感した。

アルバム製作はマスタリングまで終わったので、しかもアートワークもブックレット含めかなり良いので、去年の学校ライブのDVDが特典でつくうちに、予約してもらえたらうれしいです。

してくださった方、ありがとうございます。次回作にご期待ください。

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