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2020.01.10 アヒル池突入

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今日の朝ごはんは本当に美味しかった。だしで炊いたご飯にマッシュポテトとサキイカみたいなのと桜エビが乗ったごはん。これは日本でも再現したい(後日調べたところ、ソイ・セオという豆ご飯だった)。

今日は川にボートを漕ぎに行って、青の洞窟という大変美しい観光スポットに向かう予定だ。マネージャーも運転に慣れてきて、ホストファザーの顔も強張ってはいるが昨日よりはいくらか安心しているようである。

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ハイウェイを飛ばし、何とかと言う川に向かう。しばらく走ったが、目的のボート乗り場にたどり着けず、同じ道を何度か往復する。何度マネージャーに「誰かに道を聞いたほうがいい」と伝えたか分からないが、彼は最後までグーグルマップを閉じなかった。

しびれを切らして、レストランの前に立っていた客引きに道を聞くと、次の道を右折だという。しばらく走るとその道が見つかり、グーグルマップ上でもこの先数百mなので、奥に向かうことにした。

しかし、いくら走っても目的地が現れない。しばらくウロウロしていると川辺の集落にたどり着いた。完全に観光地ではないし、地図にも表示されていないが、川辺でインストの曲を録音することにした。

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木々のざわめきや小鳥の声が心地よく、眠るように横笛を吹いていると、川下からおじさんが小舟を漕いでやってきた。素晴らしい笑顔でこちらに語りかけるようにして通過し、そのまま少し離れた岸に舟をつけた。

インストの録音後に、おじさんの舟に乗せてもらえないか交渉をしてみると、オーケーをもらえた。せっかくなので、舟に乗ったアー写を撮らせてもらいたい。しかし、どうコミュニケーションを取ってもおじさんは舟を降りたくないようなので(そりゃそうだ)、加えて僕らが乗せてもらうことに。

畳一枚ほどの舟に3人が乗れるのかという不安は拭えないが、川岸からおそるおそる乗ってみる。

まず成順。おじさんの乗った舟に片足を踏み入れると、舟が少し沈む。岸からもう片足を離すとまた少し沈むが、やはり2人は乗れる。

次に僕。片足を舟に乗せた時点でかなり限界を感じたが、勢いに任せて乗ってみると「濡れない沈没」とでもいうような状態になってしまった。少しでも動けば、やつらが注ぎ込む。初めて器の外側で表面張力が働くのを見た。

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あまりの緊迫した状態に楽しみ切ることもできず、しかも僕が不用意に立ち上がってしまったせいで舟に水が流れ込んできてしまった。しかもおじさん側から。

おじさんは「まったくしょうがないやつだ」というふうに笑っていたけれど、どう見てもお尻がビショビショだった。本当に申し訳ない。おじさんもそろそろ行かなきゃというジェスチャーをするので、お礼を伝えて、別れた。

やはり観光用のボートに乗ろうかと、1枚だけ写真を撮って帰ろうとしたところ、川沿いの家から小さい姉妹が出てきて「Are you Japanese?」と尋ねてきた。

「いかにも」と返せば、「こんにちは〜」と日本語を話すので、どうして話せるの、学校で習ってる、何歳なの、12歳、と話が弾み、楽しい時間を過ごした。

ふと見ると、家の前を通る川に、舟が浮いている。

スーパー図々しくも、乗せてもらえないか聞くと、家から20歳くらいの兄貴とお婆さんが出てきて、2人とも快諾してくれた。しかし、先程のおじさん同様、兄貴が船頭になろうとしてくれる。どうやら素人2人が乗るには技術の必要な乗り物のようだ。

ウルトラ図々しくも、船頭なしで、僕ら2人だけで乗せてもらえないかと聞くと、家から2mほどの紐を持ってきて、それを船尾に結んで川に舟を放してくれた。お婆さんはすぐ家に戻ってしまったが、姉妹と兄貴に見守られながら、カメラマンの宮地くんが「めっちゃいいよ!!」とシャッターを切り続ける。めっちゃいいのだろうなと思った。


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撮影も終わり、岸に戻ろうとするとちょうどお婆さんが家から出てきて、その手には5mほどの紐が握られていた。「もっと行け!もっと遠くへ!」というような熱いメッセージを送られたが、その優しさに感謝しつつ、撮影は無事終わったと伝えた。

長い時間付き合わせてしまったし、かなり良い撮れ高でもう観光ボートに乗る必要がなくなったようなので、観光ボートの乗船料ぶんを兄貴に渡した。兄貴はまったくそんなつもりはなかったようで戸惑っていたが、丁重な感じで受け取ってくれた。

いわゆる地元民との交流の中で、金銭のやり取りをすることに違和感もある。しかし、ここまでしてくれた人たちに何も返せないのもむず痒いので、受け取ってくれてよかった。おじさんにも渡すべきだったかも知れないと悔やんだ。

彼らと別れて、バイクを停めたところまで戻っていると、後ろからチリンチリン、とチャリの音が聞こえた。振り向けば、さっきのお婆さんが片手にいっぱいのミニフルーツを持ってきてくれたのだった。

無言のまま笑顔でフルーツだけ渡して、お婆さんは来た道を帰って行った。僕は帰りのバイクで風を浴びながら、彼女の後ろ姿を反芻し続けていた。


帰宅後、1時間の休憩を取ることになって、シャワーを浴びたり、昼寝をしたり、思い思いに過ごした。

僕は、昨日できた曲に歌詞をつけることに。ハノイの景色がなぜかひいばあちゃんの家を彷彿とさせることや、ニンビンのこの洗練されぬまま完成しきったような田舎感に思いを巡らせつつ、部屋のテラスでギターを鳴らした。

歌詞を小さなメモ帳に綴りながらギターを弾いていると、眼下に広がるアヒル池や、遠くの原っぱから、ニワトリ、犬、ヤギ、水牛の声も聞こえてきて、夕方になれば子供たちがサッカーしに集まってくる。その美しさは、目だけで捉えられる風景ではなかった。

コーヒーでも淹れようかしら。

席を立った瞬間、膝の上に乗せていたメモ帳がアヒル池に落ちていった。

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ホストファザーに事情を説明すると、ホストマザーに相談してほしいと言う。ホストマザーに相談すると、この敷地の周囲は柵があるから、アヒル池にたどり着くにはゲストハウスと隣家の隙間を通るしかないという。しかも、その隙間までは、別のアヒル池の中を歩いていくしかないようだった。

靴下を脱ぎ、ズボンの裾をたくる。色々浮いているのが見えるので、呼吸も一応止めたら、小さな冒険の始まりだ。

底は浅いはずだというが、一歩踏み入れてみると、ふくらはぎあたりまで入ったし、やけに温かく、そして水底はなぜか生き物のように柔らかかった。

大丈夫なのか、アヒル池…と後ろを振り返るとホストマザーが暴れまわる鶏に囲まれながら、退屈そうにこちらを見つめていた。これ、さっさと終わらせる系のイベントだな。僕は電車乗り換えのスピードで池を進んだ。

やっとゲストハウスと隣家との隙間にたどり着いたが、隙間は目視20cm。片岡鶴太郎ばりに腹を凹ませ、なんなら目力も片岡鶴太郎ばりの状態でカニ歩きしていると、ゲストハウスの窓に差し掛かった。

お、何だここは、キッチンかと気づいた瞬間、窓越しに皿洗いをしていたホストファザーと目が合ってしまい、「おいどうした挟まれてるじゃないか!」とでも言わんばかりの形相でホストマザーを探しに行ってしまった。今回の旅で最も気まずい瞬間だった。

隙間を抜けたあとはゲストハウスの柵に沿って進めばよかった。どうにかメモ帳を拾い上げると、柵越しにホストマザーが立っていて、ここを登って帰っておいでと言う。頑丈な柵を探して、どうにか乗り越えた。最初から柵を乗り越えて行けばよかったなと思った。

そんなわけで僕は、1時間をメモ帳回収と足元の洗浄に費やした。

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「舟」のレコーディングが終わったら、また時間をもらって新曲の歌詞を書く。もう夜も更けてきた。21時に夕飯を出してくれると言うので、感謝しつつ、急ピッチで進める。意外とすぐに書き上がった。

そして、20時40分、全レコーディングが終了。おつかれさまでした。

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夕飯も、最終日の夜だからだろうか、いつもより品数が多い。やはり舟を貸してくれた家族の話が盛り上がった。

いよいよ明日で、この旅も終わりだ。録音も終わったので、めいっぱいベトナムを楽しもうと思う。



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