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2020.01.06 ベトナムとひいばあちゃん


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タイ、ベトナム、カンボジアを回った5年前、日本に戻る僕を乗せた航空機が飛び立ったのが、ハノイのノイバイ空港だった。今回は、そのノイバイ空港から旅が始まる。

ベトナムでレコーディングをすることになった決め手こそが、5年前に歩いたハノイの街並みだった。何故だか、「古き良き日本」という、僕も知らないような時代のことを思い出したのだ。

それは、湿度の高い故郷で、森に囲まれたひいばあちゃんの家にお邪魔して、古びた井戸のコケに初めて手を触れた時のような感覚だった。

その感覚が、MIZが作っている音楽の一側面とふれあう気がしたのである。


ノイバイ空港から、レコーディングスタジオとして使えそうだと目星をつけておいた、湖の近くのゲストハウスまで移動。窓を開け放って演奏し、ハノイの街のようすも一つの楽器として録音する予定だった。しかし、グーグルマップ上で表示されたゲストハウスの住所に到着するも、そこに建っていたのはまったく名前の違うホテルであった。

マネージャーがゲストハウスに電話してみると、友人だという人が出て、数日前にホストが逮捕されたから宿泊できないと言う。宿泊先に泊まれないことは過去にもあったが、理由が逮捕だったことは一度もなかったので驚いた。そのまま、到着したホテルに宿泊することに。「災難だったね」と言うホテルマンの笑顔に慰めてもらう。

7階の部屋からはハノイの街並みが見渡せて、居心地はいい。見下ろせば、雑貨屋の屋根瓦が剥がれてボロボロであったり、さっき通った門の上に花の植わったプランターが並んでいることに気づく。

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旅のいいところは、こういう細部に気づけるような心の余裕があることで、むしろ気づきたくて街の細部まで目をやっているとも言える。この道はどこに繋がってるんだろう、このレストランはどんな料理を出すだろう。街を歩くだけで楽しい、それは旅行初日の特権でもある。

近くの楽器屋で横笛を買った。口琴やら謎の鈴やらが所狭しと並ぶなか、その黒い竹製の笛にはDと金箔が押してあって、コツを掴むのも早かったので、購入。Dというのはキーを示すのだろうと思っていたが、あとから検証したところ完全なDではなかった。

その後、フォーと春巻きを食べた。ハノイの店では、つけ麺式のフォーをよく見た。見たことのない種類ばかりの葉っぱと肉団子、焼いた鶏が入った甘酸っぱいスープに、大皿に盛られたフォーを取っては入れ、口に運ぶ。5年前によく食べたフォーとは違ったが、美味しかった。

いささか詰めこみ過ぎた腹をさすりながら、街をふらつく。夏の終わりくらいの気温に、梅雨の始まりみたいな湿度。排気ガス。ハノイはバイクの交通量が多く、街はやけに騒がしかった。

初日からレコーディングスタジオを失った僕らだったが、よく考えてみれば、ここではレコーディングできないという話に。それだけバイクの音量が大きかった。いっそ田舎に移動するのはどうかということで、グーグルマップ上で緑色が多い場所を探す。

成順が見つけてきたのは、ハノイから車で2時間ほどいったところの、ニンビンという街だった。赤い色の建物が印象的な、「Ninh Binh Brother’s Homestay」というゲストハウスを予約して、向かう場所が決まった。

ミーティングをしたオープンカフェの前は交通量も少なく、深いグリーンの壁色で、いい雰囲気だ。ニンビンから帰ってきたらここで撮影させてもらいたいね、と会話も盛り上がってきたところで、僕らの視界に突然現れたのは、POLICEと書かれた軽トラだった。

車体の上に設置したスピーカーを通して何かアナウンスしたと思えば、店の人が「もう閉めなきゃならない」と言い出した。ハノイは深夜営業の規制が厳しいらしく、23時ごろにはほとんどの店が閉まる。この店はそれをかいくぐるように営業しつつ、警察に注意されたところでシャッターを下ろすようだ。

「また来ます」と、めちゃくちゃ意味ありげに挨拶して、店を後にした。

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部屋に戻り、感傷的になれそうだったから成順とギターを鳴らしてみたが、だいぶ酔いも回っていて瞼が重くなってきた。すぐにギターをしまって、こうして日記を書いていたが、だいたい旅行記というのは初日と翌日くらいが楽しくて、それからは億劫になっていく。過去の旅行記が全てそうだった。こんどの旅は、書けるだろうか。

ベッド1つの部屋でまどろみながら、ハノイの鬱蒼と茂る街路樹に、家から家に渡る洗濯物、歩道に突き出したビニール屋根、部屋まで忍び込んできそうな湿気を、反芻した。ひいばあちゃんの家を思い出す。こうして、異国の地で出自を想起するというのは面白い。

ベトナムには古き良き日本が残っている。そう言いつつも、過去の旅で感じたイメージが、空想上のベトナムを作り出した可能性を捨てられずにいた。しかし、こうしてその土地に立ってみれば、たしかに今は失われたと思われる何かが、そこにはあった。

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