2023.1.2

またバッティングセンターに行く。落合の真似をやめて高校時代の自分のフォームに変えてみた。最初はうまくいったが、途中からバットが大回りになっているだろう当たりが増えたので落合に戻す。ところが落合に戻しても先ほどのようには打てなくなっている。身体の動きはそう簡単に足し引きできるものではないことを実感した。

家に帰って朝飯を作る。出る前に昆布を水につけておいたので火にかける。大根と白菜で雑煮を作ったが、途中大根の皮を剥きながらよせばいいのに昔教わった桂剥きをやってみようという気になり、始めてすぐに包丁を右手親指に刺した。

痛みというのは不思議で、切った直後はやってしまったという背筋が寒くなるような緊張感しかないが、血が出てきて絆創膏を探しているうちに段々と痛みが生まれる。血が出始めてからジンジンと痛み始めるまで今日は2分近くかかったと思う。この時間差は何なのだろうか。

またトースターのアルミホイルから餅を剥がして椀に入れる。実家の雑煮は、祖母と母で違った気がするが、祖母の場合は白味噌にほうれん草で焼き餅が入っており、なんとなく甘いので好きだった。小さい頃はみつねの婆ちゃんの家に石臼があって、餅つきをしたかは覚えていないがその石臼を触るのが好きだった。

小学校に入ってからは毎年餅つきの行事があって、杵が重くて持てないのを笑われて笑われて、小学6年でやっとどうにか扱えるようになって誇らしかったのを覚えている。その後みんなでつきたての大きな餅をちぎって、持ち帰り用のものはへそ餅にしたりしたが、その場で食べるものは固くならないようにお湯に浸けていて、水餅と言ったような気がする。とにかくそれが柔らかく温かく、磯部餅の海苔が醤油と水分に浸ってしなしなになるのがたまらなく好きだった。

無印の椀に盛られたセブンの餅。出汁は一から取ったが、ただ餅の入った味噌汁だった。余ったので明日も食べるだろうと思う。

朝食後、タイタンから年末に送られてきた中田敦彦の登録者数500万人達成まで喋り続ける動画、を無視し続けていたので仕方なく見た。なんと12時間もある。かいつまんで見るだけでよいと思っていたが、中田敦彦の話がうまいので3時間ほど2048をやりながら聞き続けてしまった。

うまいというよりも、よく止まらないなという感動だったかも知れない。接続詞の直前や段落の後半部は言い淀むが、それまでの文章の流れにできるだけ反しない形でどうにか言葉を発しており、絶対に倒れないスケーター、絶対に球を落とさない蹴鞠、絶対に謎を解くコナンを見ているような魅力があった。

そして何より、この感覚には身に覚えがあった。つまり、台本やカンペを読むのではなく思いついたことを片っ端から話し続けながらどうにか着地させるという行為、それを俺はよくやっているのである。芸人には敵わないとしても、その快楽を知ってはいる。

このとき頭がフル回転しているようで、実は真っ白の状態にある。おそらく中田敦彦も実は頭が真っ白だろうと思う。これは、いわゆるアドリブのプレゼンとは違って、むしろ音読に近いはずである。教科書に載った文字を口に出すという快楽、その真っ白さ。脳内に書かれた文字を読むという点では、俺にとっては歌詞をライブで歌うこともそれに近い。

それに気づいて面白くなったので、最近買った茨木のり子の詩集を音読しようと思いついた。以前カンちゃんやユージくんと一緒に適当な雑誌を持ってきて記事を朗読しあったことがある。ポパイも奇譚クラブも面白かったが、何より面白かったのはレシピだった。「醤油、大さじ1、胡椒、少々」と大人が大声で読み上げるものだからたまらない。声に出して読みたい日本語第一位である。

しかし今日はなんだか大声を上げる気分ではないのでやはり音読はやらなかった。中田敦彦の動画も、テーマが最近見たスラムダンクの話になり、ネタバレもあると言うので怖くなって一旦止めた。ストーリーのネタバレは気にしないタイプだが、前評判を聞くにこの映画の話は見るまでは聞かない方がいいように思う。

少しギターを触りながら、大森時生さんのテレ東BS特番を見ようか迷ったが、結局見なかった。Tverのページを開いた途端huluの広告が画面いっぱいに広がって、バッテンを押しても反応がなく、huluのリンクをクリックする以外何もできなかったからである。しかもhuluに飛んだところでTver上の広告が消えるわけでもなく、半透明の広告の向こうにTverの番組一覧が表示されているのにあらゆる空白をクリックしても広告は消えることがなかった。超ありえないと思って、ふて寝した。

起きたら腹が減ったので麻婆豆腐を作ることにした。豆腐の水分をキッチンペーパーに吸わせて抜くのがたいへん好きであり、それをやりたくて麻婆豆腐を作っていると言ってよい。甜麺醤と豆板醤がチューブなので、おそらく瓶のものを使うより風味が落ちるだろうなと想像しながら作った。

晩飯を食べながら座王を少し見た。面白かった。M-1もそうだが、松本人志の手がけるIPPONやドキュメンタルなどの番組は競技性が高く、笑えるプログラムにもかかわらず不気味に思う。しかし千原ジュニアのこの番組は椅子取りゲームという競技性のある遊戯をモチーフとしながらも、常に明るい。モノマネや歌など複数のジャンルのお笑いを断続的に見せられるので、プロの宴会を見ているような気分になった。

ところで、チョコレートプラネットの松尾がIKKOの一物をテーマとしたモノマネを披露していて、俺は笑ったが気になることがあった。女ではなく女性、というような風潮はテレビに浸透し始めているように思えるが、それと同時にLGBTQ的なるものへの配慮も進行しているものと思い込んでいた。これがお笑いだから、もしくはIKKOだからセーフということかも知れないが、笑いながらこれってOKなんだっけと戸惑ったことを記しておくとする。

2048のやりすぎで眠たかったがパソコンに向かう。引っ越した物件やその他さまざまを言い訳にして曲を作らずにいたが、このままでは活動休止だと思われるので作らなければならない。

俺は創作意欲はあるが、道具の使い勝手に弱い。住処が変わって落ち着かないのも然り、何かを閃いてからその音を作るまでにラグがあることも問題だ。その問題を解決するためにミュージシャンはデスク周りを整えるが、俺はその努力を怠っていたと言えなくもない。

以前大島育宙という人が、デビュー以降しばらく経って創作意欲が衰えた人間が業界から消えていくのは、今までそれが作れていた過程・手順・メソッドを当人が分析せずにいたからだというようなことを言っていて、慄いた。俺もこれまでの曲がどうやってでき上がったかを思い出せなかったからだ。再現性が無い。

このままでは業界から消えそうなのでメソッド、俺は「生活の型」と拡大解釈しているが、それを作らなければならない。

パソコンに向かってボイスメモを遡り、いいのを見繕ってロジックに起こした。この作業が一番つらいはずだったが、気分さえ良くなって仕舞えばうまくいく。よく父親が映画のアクションシーンになると額に皺を寄せながら胡座をほどいて畳の上に片膝を立てたが、そういうモードに入ると兎に角うまくいく。そしてその時間はなによりも幸福に感じる。3曲できたので眠る。

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