2021.10.02

「天下一舞踏会」のゲストアクトにNo Busesをお誘いしたのは、彼らの音楽性はさることながら、音楽の向こうにある“風景”に胸を打たれたからである。

この“風景”というものについて、僕はこれ以上に語る言葉を持ち合わせておらず、グッとくる、ピンとくる、あの感覚に近いということまでしか言語化できない。

これまでお誘いしてきたミツメ、踊ってばかりの国、ZAZEN BOYS(開催中止)といったミュージシャンの人達もみな、ビートというよりその“風景”によって踊りだしたくなる音楽だった。乗れるから踊るのではなく、乗らなくても踊れるのである。

もちろんゲストアクトはメンバーで話し合って決めているから、これは個人の感傷に過ぎないが、それだけ思い入れの強いイベントではある。特に今回は、まったく交流のないバンドを誘ったぶん、いつにない緊張感と、高揚とがあった。

その高揚に任せて、アンコールで一緒に太鼓を叩きましょう、と彼らに依頼した。Franz Ferdinandが「Outsider」を演奏中に、Death Cab For CutieとThe Cribsが袖から出てきてフロアタムを叩く映像を見て以来、いつかやりたいと切望していた。彼らとは交流がないぶん逆に依頼してみたら面白そうだと、そう思ったのである。

まったく返信が来なかった。彼らが極度の人見知りだというスタッフからの触れ込みもあり、依頼した事を後悔し、これ告白の気まずさじゃんと思った。結局OKをもらったが、当日のリハーサルで「一緒に太鼓を叩きましょう」と改めてお願いしたとき、実際に太鼓を叩いてみたとき、本番までの間お互いの楽屋を往来することもなく過ごしたときは、もっと気まずかった。

しかし、いざ本番でフロアタムを一斉に叩いた瞬間の快楽は、一生忘れられないだろう。ただただテンポアップしていく「水が湧いた」のアウトロに、特に取り決めのないリズムで思い思いの打音を重ねていくあの時間は、僕が見たかった“風景”、その真っ只中に立っているような不思議な体験であった。

本番後、ギターの後藤くんが、竹田に「(MONO NO AWAREが前座をやった)クリブスの来日公演見に行きました」と伝えているのを聞いたとき、「Outsider」の映像絶対見てるじゃんと思った。

絶対見てるのに、お互い人見知りでほとんど会話しないから変に緊張してしまったんじゃん。だからこそ、ほとんど初めましての状態で同じステージに立ち、それぞれの打音が鳴っていること、しかもそれがひとつのグルーヴとして感じられることが、心地よかった。


このイベントに際して、初めて僕らはマガジンを作った。

アーティストビジュアルやMVでお世話になっていたマスダレンゾの写真と、フジロックなどのスタイリングでお世話になっていた長畑宏明によるインタビューと誌面構成とを、作品のアートワークでお世話になっていたHieiが仕上げてくれた。

『So different steps, and good groove.』というタイトルは、「幽霊船」の「ステップはバラバラなままだがグッとくるグルーヴ」という歌詞から取られている。

タイトル考案者の長畑さんが、あとがきで「MONO NO AWAREの4人が共通のビジョンを持っているとは言いがたい」と記している通り、このバンドは、集団としての明確な目標もメッセージも持たない。

それに関して胸を張るつもりもないが、よく持続しているなと動力源に首をかしげることも多々あり、掲載されている個別のインタビューもやはり意外な点ばかりであった。

成順の「豊と竹田に関しては最初から仕事仲間だと思っていた」、竹田の「ベースもバンドもやめたいと思うことはある」、豊の「周啓はそのころ(ファーストアルバム制作中)自分に気を遣っていたんじゃないかな」など、サンタいないよ的な驚きの数々。

そう考えてたんだ、早く言ってよ、想像力、相互理解、これらの言葉はバンドの前ではほとんど無効である。どれだけ気を遣っていても、言葉を尽くし耳を傾けたつもりでも、常に4人でいること自体の照れや停滞が、無意識のうちにそれらの道徳的な姿勢を阻む。

しかし、これを悲観しているわけではない。それでも4人が活動を持続できている理由については雑誌に掲載されているとおりだし、照れや停滞を自覚したうえでお互いが存在できる場であり続けることが、「幽霊船」や「行列のできる方舟」の世界、ひいてはバンドそのものであった。

ビートという意味ではなく、ただそこにグルーヴがあればよい。ステップの音が鳴り止まないうちは、しばらく沈まずにいられそうだ。

そのような感覚は、「天下一舞踏会」というタイトルにも反映されている。ミツメをお呼びして開催された2017年の公演に際して、僕が書いた招待文がある。それにも“風景”に接近しようとした痕跡があったので、最後に引用しておく。


「天下一舞踏会」

小学校時代、柔道を習っていた友人は、剣道を習っていた僕に「武器で戦うのはズルい」と言った。柔道にしても剣道にしても、重要なのは戦い方ではなく「気の持ちよう」だと思っていたが、その証明を待たずしてホコリアレルギーを発症し、僕は小3にして武道界から退いた。

中学校時代、サッカー部の友人は、野球部に入った僕に「サッカーはこの身ひとつで戦える」と言った。道具を手になじむまで使えば、それは身体の一部なのではないかと思ったが、その疑問はグラウンドを吹く過酷な練習と怒号にかき消された。

そして高校時代、地元八丈島の盆祭りで物議を醸していたフォークダンス「高速マイムマイム」に参加した僕は、例年通り、生演奏に身を任せながら近所のおじさんおばさんや友人と手を繋いでヤグラを囲むように輪っかを作って軽トラくらいのスピードで走り回りながら、なぜこの高速ダンスはこんなにも楽しいのだろうと、その魅力を再発見していた。そして息を荒げて次々離脱していくおじさんおばさんを見て「もはやダンスではない」と実感していた。

その後、大学進学も経て「人生、山おり谷おり」という作品が完成したとき、この人生の絶え間ない起伏を昇華させることはできないのかという壁にぶつかった。考えに考えたが結局答えは出ず、モヤモヤしたまま戻った夏まっさかりの故郷で、あの高速マイムマイムを思い出した。

そのダンスとも呼べないようなダンスは、体が勝手に動くようにしてテンポアップし発達した文化であった。そのダンスを踊っている間は、良いことも悪いことも全て忘れて、ただ言いようのない幸福を感じられた。その動き(ダッシュ)は、どれだけ洗練させてしぼり出した言葉よりも、説得力があった。

武器を使わなくても、この身ひとつで戦える人間唯一の手段。それは、パンチやキックではなく、ダンスである。「人生、今が山か、それとも谷か」と無闇に占い自分自身を呪う精神的弱さを、腕を伸ばしてステップを踏むだけで打ちのめすことができる。「舞踏」は「武闘」をも凌ぐ可能性を持っているのである。

本日は、天下一舞踏会にお越しいただきありがとうございます。山か谷か、ハレかケか、読めない演奏者2組による音楽に体を揺らしながら、「人生、山おり谷おり」にまつわる世界観をお楽しみ下さいませ。恥ずかしいという方は、せめて心だけでも踊らせていただければ幸いに存じます。

2017年12月5日
MONO NO AWARE ボーカル 玉置周啓


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