「それでも地球のかけらはまわる」
ガリレオは本当に言ったのか、言わなかったのか。どちらにしても、あの名言は地球を「ヒロイン」にさせた。
このところの地球はどうしたものか。
デスペラードな存在になってしまったのは、確実にわたしたち人間のせいだ。荒ぶる神を守護しなければならないのは、本来、人間であるわたしたちなのに。
そんなとき、もうさあ「バカだねえ」と口から出てくるようなことしかできいないでしょと、開き直りたくなるから、この作品をつくった。
人間が「はいっ!」と手を叩けば動く。木の枝で調教しないとすぐサボる。でもね、本当は逆で、人間なんておちょくられてて生きてる。地球もなにもかも、思うように言うことなんかきかないんだ。
https://vimeo.com/466039351
「それでも地球のかけらはまわる」
(草っぱら編)
https://vimeo.com/466040103
「それでも地球のかけらはまわる」
(手をたたこう編)
地球からの使者
はるか1万3千年前、縄文時代につくられた土偶。命は円環するという死生観により生まれたものだとも言われている。地球のかけら(=土)を焼いて、また地球(=土)に埋める再生の祈り。そんな文化が繰り返される。森や川や海、田畑などの自然界には、精霊のようなものがいて、人間に恵みを与えてくれたり、時に悪さもする。彼らこそ、地球の使者。
そんな地球が揺さぶられた2020年。いつも行く場所に行けない。会いたい人に会えない。地球の回転数が狂ったうような感覚を味わった。
しかし、ガリレオささやく。
「それでも地球はまわる」
あとがきコッチョリーノ
▶︎この作品は下記ギャラリーに展示中ですが感染症対策のため完全予約制ではじまり、本日から最後の週末を迎えます。▶︎弟子生活を終えて独立した際、ミラノの師匠から工房名「コッチョ」(陶器のかけら)を譲り受けました。そのまま名乗るのはおこがましいので、イタリア語で小さいという意味の「リーノ」を末尾につけて「コッチョリーノ」とし「地球のかけら」というメッセージを含意させました。▶︎分けてもらったのれんを自信もって掲げていればコッチョリーノは20年続くだろうと根拠のない自信を持ったら、本当に20年目がやってきました。楽ではない道のりだったし、いつまでもハードな仕事だけれど、いまだにこの名前のためにおどけてる。▶︎料理がもれず、使いやすいうつわをまじめに心がけても、わたしのどこか根底におどけたサルが住んでいて「滑稽さ」を入れ込みたくなるのです。
予約制
第8回「着想は眠らない展」
テーマ「ちきゅう」
2020年10月9日〜11月3日
金土日と祝日の開催
ギャラリー忘我亭
長野県茅野市北山蓼科5522-459
0266-67-6750
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?