見出し画像

土鍋メメント・モリ

「作品は数でなく人よ」
「人と人のつながりなんよ、たまちゃん」

俯瞰できる今になって、視認性をもって正解が見える。作家にとってギャラリーとは売るための場所でなく「親」である。ギャラリーのオーナーを偲びながら、そんなことを考えた。

「親」という字は「位牌」を「見る」という成り立ちをもっている。昨晩の偲ぶ会では、位牌ならぬ作品や作家の周囲にからむ人やものごとを見た。「ほれ、これなんよ」と、しびれをきかせて、とうとう自身の人生を終わらせて、みんなにご開帳してくれたのではないかな。

「親」がつぎつぎと去っていく。

そのたびに開帳されるページとそこに書かれた意味が明らかになるのだなあと。人との関係や自作品の意味が記されたページが増える。皮肉なものだ。

メメント・モリ。

あとがきコッチョリーノ 
▶︎「旅する土鍋」冊子をつくってくれ、土鍋と人をたくさん結びつけてくれたギャラリーオーナーとその周辺の人たちへの個人的な想いです。▶︎わたしの記すnoteは人のためになる情報とか商業的なものを目指した作品ではありません。しかし手でこねる実作品と「旅する土鍋」の本だけはちがいます。助けてくれた人、支えてくれた人、それを遠くから見守る人、すべての人への恩送りの意味を込めています。▶︎第2弾をつくるといいながらイタリア取材を数年つづけているもののどうもコレダ!という決定打になる媒体と接点ないまま。そろそろ運命的な出会いがないかな。そんなことつぶやくとオーナーに「たまちゃん、人なんよ人」と肩をたたかれるだろうな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?