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窯のさよなら。 #まいにち土鍋

その姿は残すなよな

「2000年7月8日」
(台風3号上陸の危険があったため翌日に延期)

コッチョリーノ窯の記録


窯の記録最初のページ。
台風で一日延期され、まさしく私の誕生日に窯は設置された。

コッチョリーノ移転にむけて、今を「さよなら」しないといけないことがたくさんある。これを決めた1年くらい前から、感傷的になることは捨ててゆくよう心に誓ったはずだったが、きょうはさすがに、ギュッと手を結んだ。解体中の写真は撮れなかった。「切り刻まれたその姿は残すなよな」と、窯の声が聞こえたのだ。

作業は8:30から始まった。硬い鎧をはがす前に、どうやら内側のレンガを、地響きするくらいハンマーかなにかで叩いている鈍い音。ドスドスドス殴ってるみたいな音で怖かった。そんなこともあって、見ることができなかった。午後、いよいよ鎧がグラインダーで切られ始めたようで、ウィーンシャーチャリンカリンカリカリカリ…と耳が張り裂けそうな音。これも心情的に見られなかった。


写真における記憶はない

イタリアから帰国を決めたあのときも同じような心情だった。イタリア人アーティストと、ミラノ郊外の麦畑のなかにある空間をアトリエ兼住まいにしようと考えた。陶芸窯も買おうと考えていたが、外国籍のわたしには難儀に満ち溢れた道だった。

当時、写メなんかなく(一眼は重いからなかなか持ち歩いていなかった)、記憶のあれこれは写真に残っていない。


災いでなく円満にその時がきた

そうだ、日本に帰ろう。

イタリア滞在が7年を経過したころ、懇願した師匠のもとで制作できている幸せはいっぱいなのだが、そう決めた。自分の窯を東京で持つことを決意した。

この窯をつくってくれた窯屋さんの、後継者である若人(ご経歴は長い)が、数年前からのこの窯の面倒をみてくれている。わたしに何かあった時、家人や息子が戸惑わないよう、近い将来、遠い将来のために窯の解体をお願いしておいた。

災いでなく円満にその時がきた。

この窯屋のおにいさんだったから、すべてを任せられた。きれいさっぱり鉄の塊がなくなった。この窯から誕生した作品にありがとう、そしてそれを使ってくださっている皆様ありがとうございます。



8月30日(火)
窯の記録ノート(最初のページ)



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