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陰翳礼讃の森-3

人間の創造とは

結果が出てから失敗だとか成功だとか言うことが多いのが気になる。エゴやら利害が関連するのは、社会的な問題だけでなく、整合性なきコミュニケーションが必要なちいさなちいさな世界であるアートにも重なる。

対して、ギャラリー主催公募展のために自由奔放につくった作品、道祖神「やまもりさま」は、整合性なきストーリーを次々と自立歩行でつくりあげていくので楽しい。


旅する空也

旅をして社会事業にも貢献したという空也をご存知だろうか。空也だったら、この時代になにを言うだろうなあ。

今回の作品である道祖神は、空也みたいな旅人を空想して、そんな旅人のために、非常に愉快につくった。空也のごとく、口から念仏ならぬ、まじないの言葉を何十も結び、森の結界にぶら下げた。

「口から)でまかせ」「(口から出た)うそ」「(口から出た)まこと」「(口)やくそく」....口から出る何十もの言葉をワイヤーで結び、道祖神は唯一の願い「あめふれふれ」を空也のごとく念仏として唱える。


人は土をむすび、
焼き、道具にしてきた。
火にふれたらかえれない。
水ふれたら土にかえれる。
やまもりさまは土むすびの神。
ほんとうは土にかえりたい。
(陰翳礼讃の森1)
(陰翳礼讃の森2)


超感覚的知覚

台風が近く前の日、急いで森のギャラリーに「あめほどほど」を結んで追加で送った。地域や世界を直接うごかせる研究者や技術者ではないけれど、整合性のないコミュニケーションであれば静かに発することができるかもしれない。

蓼科の森は大きくうねり、大量の雨をもたらしたと報告があった。行き去ったと思われた風は、最後に木を倒し電気をとめたけれど、自身の作品をふくめ公募者の作品は耐え切ったそうだ。道祖神「やまもりさま」の一部の念仏をのぞいて。森のなかに発せられた言葉、落ち葉ならぬ「落ちた言の葉」はもう二度と戻らない。森が吸いとり、森が受けとったのだろう。

家族が、静かに曲を流しはじめる。
アルバムの最後には、ドルフィーの肉声が心にひびく。嵐のあとに。


When you hear music,after it's over,
it's gone in the air. 
You can never capture it again.


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