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人を好きになりなさい

#あの会話をきっかけに
このテーマを見て、すぐに思い出したのが、高校3年卒業間近に担任から言われたこの一言

人を好きになりなさい

言われた当初にの私は『何いうてんだろ・・・この先生・・・』
そもそも【好き】の意味がわからんっていう基礎があったことは当時の私は知る由もなく、返答に『一応、付き合ってる人いますけど・・・』と、一丁前に当時付き合っていたものでそれをアピールしたのだが、返ってきたのが

『それは、彼が好きで付き合ってる?』

返答に思いっきり困ったのだ
嫌いじゃないから付き合ってるっていうスタンスでそれまでお付き合いをしていた
お断りさせてもらっていたのは、何かとめんどくさそうとか、知らない人とはちょっと・・・とか
今思えばアレですけど

嫌いじゃないなら好きってことじゃないの?
これは中学の時から思っていたことだ

【自分の意思で】と言う意味がわからなかった中学時代

兄弟の一番上で生まれた私は、どうやら親からかなり期待をされていたらしい
特に勉強の面での期待が大きくて、成績をもらうたび鬱になるくらい怒られたし、正座させられ、親からどうやったら逃げられるのかと考えて過ごしていたものだ
親曰く『私のために怒っている』らしいのだが、私の解釈は【親の見栄のために】だった

いい高校に行けない→いい高校ってなんだろう
そんな成績では恥ずかしい→友達に見せあったりしないよ?
普通に勉強したらこんなことにならない→普通ってなんだ?

そのうち、怒られることが怖過ぎて、学校に行くことが怖くなったこともあるが、ここで味方がいたのだ救いだ

おばあちゃん

今思えば、中学校当時〜高校まで、大好きっていえたのはおばあちゃんだけだったと思う
どんなに怒られても私の味方でいてくれたのはおばあちゃんだ
学校に行くだけで褒められた
休みたいなって時はおばあちゃんが休ませてくれた
病院の付き添いはおばあちゃん
高校を決めるとき、工業高校ってことで、色んな人から反対される中、誰よりも一番に誰よりも喜んでくれたのがお婆ちゃんだ

女も手に職をつける時代や。いいところに行こうとしてるやんか!!

この一言が私に自信を持たせたのだ
買い物に行く・友達と遊ぶ・部活をする・・・全てにおいて親に許可を得ていた
親が『自分で決めろ』と言うので、コッチと言うと親は『何でこっちなの?アッチでしょ?』と言われていたので、私の意思っていうのはほとんどなかったのだ
そんな中、おばあちゃんは私の意思を尊重してくれた

おかげで、今の親から見た私は、親のおかげで、私自身自分の意思で決めた道で今に至っている

訂正するのもめんどくさいから何も言わないが、おばあちゃんだよ
おばあちゃんが居たから、私の意思で行けたんだよ

と、墓まで持っていって、墓に入った暁にはおばあちゃんに直接ありがとうを言うことを決めている

そんなこんなで、感情がどうも薄かったのだと思う
喜怒哀楽はあっただろうが、主に怖かったので、感情を出すと言うことを控えていたような気がする
それでも高校生なんて思春期真っ只中
反抗期に至っては親が怖いから、怒りは部活にぶつけていたものの、箸が転げてもって言うのはあったと思う

そして3年過ごして、あと数ヶ月っていうタイミングで言われたのが
人を好きになりなさい
何度も言おう
意味がわからなかった

このたった一言が、その後の大学生活にいちいち引っかかってくるのだ

感情を表に出していいと目が覚めた大学時代

就職氷河期のおかげで、進学した私
氷河期じゃなかったら得ることができなかったであろうことがたくさんあった4年。
大学には本当に心から感謝している

#京都精華大学

母校だ
本当に、たくさんのものを教えていただいた
中でも大きかったのは感情・精神面。
デザインの学校で、建築を学んでいたのだが、一番興味を持ったのが心理学だった
設計をするときも、外観・内装・導線・ランドスケープ・・・と、色んな要素のあるなか、重点をおいたのは、精神的な面
卒業制作は不登校の子が・・・とか、対象が精神面だと先生に言われるまで気づいてなかったのだが、確かに最初から最後まで、自分の感情のであったり、その空間に入ったら感情の動き・・・・というのをテーマに挙げていたと思う

当時読んでいた本も、ミステリーと心理学を交互にだったのではなかろうか
人には喜怒哀楽という感情があり、それらを表に出していいのだということを知った時は、少し動揺した

結局人は好きになったの?

今問われたら『人に興味を持つようになりました。人は面白いです』と答えることができる
大きな成長だっと思うのだが、どうだろうか

大学には兎にも角にも感謝している


大学に行ったおかげで、大学に行かせてくれた親にも感謝できるようになったし、生きていていいのだと思えるようになった

今、卒業生として、後輩へのコメントというものを考えている
この通り、私には文才がない
しかも、劣等生だった私から後輩へ・・・となると、なかなかに難しい課題を軽い気持ちで受け取ってしまった

こういうところだぞ!私!

#あの会話をきっかけに

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