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【思い出話】りんご娘を応援していて1番辛かった時期はいつですか?と聞かれたら

その質問に、僕は”2007年”と真っ先に答えます。改めて思い返すと、よく心が折れなかったと思う時期で、実際に2007年前後でたくさんのファンが現場を離れてしまいました。

サウンドプロデューサー退任と資金難により新曲が出せない時期が続く

2006年2月25日に行われたRINGO MUSUME.POWER LIVE 2006を最後に、初代サウンドプロデューサーhiroさんがりんご娘.のプロデュースから外れることになり、新曲が制作されない時期が続きます。また、当時の弘前アクターズスクールプロジェクト(HASP)は資金難であり、メディア出演やブログなどでも資金があまりないことを隠さずに発言していました(ダイエットのCDリリースやJONKARAの音源化などに関して)。

音楽面でファンになったとまと🍅にとっては、新曲のリリースが無いことが辛く、新曲をリリースする夢や既存曲の歌い直しアルバムをリリースする夢を頻繁に見るようになります。

楽曲の路線変更、ダイエット・ドスコイ金星・トコドッコイ弘前りんご

サウンドプロデューサーのhiroさんが退任して以来、楽曲制作が行われずに新曲のリリースが途絶えていましたが、弘前アクターズスクールプロジェクト 創設メンバーであり、りんご娘.専属バックバンド”ケノシル”のメンバーでもあった渋谷拓弥さんが制作した楽曲「ダイエット」(Oh!bandez のカバー)や、樋川代表による初セルフプロデュース曲「ドスコイ金星」が、りんご娘.の新曲として2007年春からイベントで披露されるようになります。

また、弘前市が楽曲を公募し制作した弘前りんごPRソング「トコ・ドッコイ弘前りんご」(作詞:五十嵐正一 作曲:石田容子)もりんご娘.の新曲として様々なイベントで披露されていました。

「ダイエット」「ドスコイ金星」「トコ・ドッコイ弘前りんご」共に、宮城県在住の作曲・編曲家である橋元成朋さんが編曲を行うようになりましたが、楽曲がコミカルな路線になったことや編曲のテイストが大幅に変わったことにより、当時のファンは受け入れることができずにファンを辞めてしまう人が相次ぎました。

また、1つのイベントでのりんご娘.の持ち時間が30分程度の中で「トコ・ドッコイ弘前りんご」「ドスコイ金星」「ダイエット」「りんごのキモチ」でイベントが終了することが多く、イベント毎や季節に合わせてオリジナル曲を変えていた2006年とは打って変わってしまい、イベントに通う楽しみが無くなりつつありました(ときには1イベントでダイエットを2~3回歌ったことも)。

そんな「ダイエット / ドスコイ金星」ですが、2007年12月24日にCDリリースされた際は、ファンになってから初めての新譜リリースでもあったことから何度も何度も聴き返してCDを大切にしていました。

しかし、レコーディングにお金をかけられなかったのか音圧が非常に低く若干音割れもしており、またCDの収録内容が間違っており(インスト収録と記載も収録なし)販売後に返金対応をすることになってしまいました。

年に一度のPOWER LIVEで起きた事件

2006年2月25日に行われたPOWER LIVE 2006から約2年ぶりと2007年12月21日に開催となったRINGO MUSUME.POWER LIVE 2007。

待望だったPOWER LIVEのりんご娘.(ジョナゴールド・レッドゴールド)アルプスおとめ(下山・工藤・斉藤)の5人に、小学6年生までの子どもたちから募集した”りんむす.きっず”、当時テレビでりんご娘.と共演していたタレントのマジド・シャイエステさん、一輪車部の学生たちとのコラボなどで4部構成にし、歌ありコントありの異色のPOWER LIVEとなりました。

約2年ぶりの開催かつ当時のりんご娘.史上最大のキャパであった弘前文化センターでの開催だったため非常に期待値が高かったのですが、2007年に新曲として発表された「ダイエット」「ドスコイ金星」「トコ・ドッコイ弘前りんご」を中心にしたセットリスト(ダイエットは2回歌う)ドリフターズ風のコントにかなりの時間を割いてしまったりと、非常に困惑する内容でした。

また、参加していたりんむす.きっずが途中で飽きて騒ぎ出してしまったり、一輪車団体とコラボして「JONKARA」「雪のブルース」を披露した際も一輪車団体の方がりんご娘.にぶつかるんじゃないかと心配で全くパフォーマンスに集中できなかったりと、非常に課題の残る内容となってしまいました(これ以降のPOWER LIVEでは、このような演出は無くなりました)。

りんご娘.の活動が停滞していたことや平日開催だったこともあり、500人入るキャパがガラガラの非常事態、後にも先にもこれほど衝撃的なPOWER LIVEはありませんでしたし、今後のりんご娘.の存続を本気で心配しました。

それでもファンを辞めなかった理由

ここまで心が折れそうな出来事が続いていた中で、なぜりんご娘のファンを続けることができるのか考えてみると、首の皮一枚の状態で心を引き留める出来事が要所要所で起きていたからだと思います。

特に、RINGO MUSUME POWER LIVE 2007で初披露された「ずっとずっとずっと」やレットゴールドソロ曲の「大丈夫」を聴いたときに、《樋川さんすごい良い曲書けるじゃん!ベイビィも楽曲作りのセンスがある!》と枯渇していたりんご娘の楽曲に対する想いに命の水が注ぎこまれたような感覚でした。その後、2008年はアコースティック路線と称し、「津軽富士」「ずっとずっとずっと」「大丈夫」を編曲した野呂里香子さんのピアノ伴奏でイベントにてアコースティックパフォーマンスを披露する機会が増えました。

また、2008年~2009年にかけては、ジョナ&レットがひたむきにがんばっていたことがテレビでのレギュラー番組獲得(@なまてれ、産地直送☆青森最高)という結果として表れます。

その時代、僕は高校進学で部活動が忙しくなりイベントになかなか足を運べなくなるのですが、テレビ番組のレギュラーがあったおかげで、2007年と比較しても応援していて楽しかった記憶が残っています。

この、2007年という暗黒の1年を耐えたことによって、”りんご娘(リンゴミュージック)とは、何があってもファンを辞めない”という魂の契約を勝手に交わしました(笑)

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