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【思い出話】人生を支えたRINGOMUSUME 2018年の快進撃

今回は、ちょっと私のプライベートにも踏み込んだ内容で記事を執筆できればと思います。※人によってはフラッシュバックの恐れがありますので、注意してお読みください。

社会人は辛いよ、真面目過ぎた故に起きた悲劇

2018年、社会人になり3年を迎えていたとまと🍅は、新卒で就職した会社で様々な不幸が重なり適応障害となってしまい転職するも、俗に言うブラック企業に転職してしまい精神的に不安定な時期を迎えていました。今思うと、もっともっと自己主張できていればよかったのですが、あの時は常に自分を責め、馬鹿真面目すぎて周りに迷惑をかけないように必死でした。

一方、2018年のりんご娘は、前年の「Ringo star」「アメノチヒカリ」のリリースや、メンバーの王林がラストアイドルのセカンドユニット”Good Tears”を兼任した効果もあり、ファンの人数が大幅に増え注目されている時期でした。

私は、今でこそnoteやTwitter、SHOWROOM、Instagramでfarmerの皆さんと交流するようになりましたが、それ以前は本当におとなしくりんご娘を見守っている、ファンの1人に過ぎませんでした。当時のりんご娘の現場の雰囲気は大きく変わっており、抵抗感が強かったとまと🍅は青森県内のイベントへ足が遠のいていました。

本拠地・青森県でのイベントに行かなくなっていた一方、定期的にシングルがリリースされるようになり、リリース毎に渋谷や秋葉原で行われるインストアイベントや、代官山LOOPで開催された”初めての東京ワンマン”といった首都圏での活動が非常に活発化した時期でもあったため、りんご娘の活動自体は自分なりに応援できていました。

当時の自分にできる形でりんご娘の応援をしていたものの、日々身体を蝕んでいく心の病に屈してしまい、疲れ切ってしまった私は住んでいた関東のマンションを引き払い、同年10月に青森に帰りました。

実家へ帰るも人間としての機能停止、まぶしいFOURsの光に導かれ

青森に帰ればりんご娘のイベントにも行けるようになるし、きっとうまくいくだろうと軽く考えていたのですが、精神の不調がピークを迎えてしまったとまと🍅は完全にやられてしまい”人間として機能しない”時期を3ヶ月ほど過ごすこととなり、2018年11月末から入院してしまいます。

その入院生活というものは中々に過酷で、はじめはトイレと布団しかないようなそれこそ独房のような環境に2週間滞在していました。その後、他の入院患者との接触を許されるようになり、数ヶ月ぶりに15分だけインターネットを見ることを許された私は、りんご娘公式HPを何気なく覗くと衝撃のニュースがトップニュースで更新されていました

このニュースを読んだとき、身体中に電流が走り、「アメノチヒカリ」の如く真っ暗闇に立っているようだった当時のとまと🍅の前にまぶしい光が見え、”絶対にFOURsのリリースイベントと101回目の桜ツアーに参戦するんだ!”と生きる活力が湧いてきて、それも1つのきっかけで暗く長いトンネルの出口を見つけ出すことができました(それ以外にも家族を含む周りの方々の協力や自分自身の気づきがあって大復活できました)。

2019年2月には体調が回復し、再び関東の地に踏み込めたとまと🍅。秋葉原・渋谷で行われた3rd Album「FOURs」のリリースイベントに参加できた他、「RINGOMUSUME SHIPMENTLIVE TOUR 2019 ~101回目の桜~」東京公演・青森公演に参戦することができました。

当時のメンバーは卒業してしまいましたが、引き継いだメンバーたちのおかげで、今もこうして元気にりんご娘を応援できていることがとても幸せです。また、りんご娘の歴代メンバーやリンゴミュージックの樋川代表をはじめとするスタッフの皆さんからは”物事を続けること””信念を貫くこと”の大切さを、今現在も学ばせてもらっています。

そして、人生最大の危機に最大の支えになってくれたのが”りんご娘”といっても過言ではありません。これからも、命ある限りりんご娘及びリンゴミュージック所属アーティストの皆さんをかげながら応援していきたいと思います。

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