マガジンのカバー画像

HANASHINONETA(噺のネタ)

28
噺家・玉屋柳勢( タマヤ・リュウセイ )が落語の「演目」毎に、稽古の裏話やエピソード、解説を。
運営しているクリエイター

記事一覧

[噺のネタ]24『強情灸』(雲助師匠が仰った『江戸ッ子弁』とは)

今回は最近よく掛けている『強情灸』を。 二ツ目の半ばくらいによく掛けていました。 真打ちになってからは、二ツ目なら良くても真打ちでこの『強情灸』ではちょっとなぁ、と自分の中で及第点は出せず、お蔵入りに。 それを今年に入って引っ張り出してみたところ、もう少し磨いていこう、という気になり、ここの所掛けています。 噺の稽古は五街道雲助師匠につけて頂き、その際に「これは江戸ッ子弁の稽古の噺」と教わりました。 江戸弁でも、江戸言葉でもなく『江戸ッ子弁』という言い方で。 おそ

[噺のネタ]番外編(お稽古をお願いされるということ)

「後輩からお稽古を頼まれるということは名誉なことなんだよ。そのネタはあなたが1番です、とプロに認められたんだから」 以前、ある師匠がそう仰っていたことがありました。 「例え前座だってプロなんだから」と。 そう言えば亡くなった喜多八師匠にお稽古をお願いした時の第一声は「ありがとう!」でした。 噺家にとって、後輩にお稽古をお願いされるのは嬉しいことなのです。 頼まれてもいないのに自分から「おい、稽古つけてやるよ」と言って廻っている人もいるくらい…(迷惑なので良い子のみん

[噺のネタ]23『たがや』(金八師匠からの落語「三大難しい地噺」の1つ)

三遊亭金八師匠に教わりました。 書生っぽい芸人が多いと言われる落語協会では、芸人らしい軽やかな雰囲気をまとっている金八師は稀有な存在です。 師匠特有の気の利いたくすぐりがまぶしてある…そんな師匠の地噺が好きです。 特に『たがや』はくすぐりの入れ方が難しいと言われています。 小朝師匠が仰っていた「三大難しい地噺」(※1)の1つです。 たけ平兄さんによると、くすぐりを入れることにより噺のリズムが崩れてしまい、グズグズになりやすい噺なのだそうです。 地噺でグズグズになる

[噺のネタ]22『代書屋』(権太楼師匠の十八番~サゲまで演らない理由は…)

アタシは権太楼師匠に教えて頂きました。 『代書屋』は、実際に代書屋をされていたという先代米團治師匠の拵えた新作落語。 東京では芸術協会の先代小南師匠の型を、喜多八師匠が習って落語協会へ。 そこから雲助師匠や権太楼師匠に広がっていったネタです。 アタシがお稽古をつけて頂いたのは国立演芸場。 ちょうど喜多八師も出番でいらしてました。 権太楼師が喜多八師に「この子に『代書屋』を教えるから」と、わざわざ許可を取って下さり、そのまま地下の稽古場へ。 『代書屋』は権太楼師の十

[噺のネタ]21『看板のピン』(志ん橋師匠の教え)

二つ目なりたての頃に志ん橋師匠に教えて頂きました。 元々はあまり興味のあるネタではなかったのですが、志ん橋師匠が落語研究会で掛けていらした古い映像を見て感激し、お稽古をお願いしました。 落語的な、マヌケな若い衆をいきいきと描写されていて、とても面白かったんです。 志ん橋師匠の教えはとても丁寧。10時か11時だったかに始まるお稽古は、いつも15時くらいまで掛かるのです。 人によっては、夕方まで終わらないこともあるそうで、その丁寧さに頭が下がります。 いま、『看板のピン

[噺のネタ]20『厩火事』(十年後に聞かされた衝撃の事実。)

「明日までに覚えて来て!!!」 噺家が落語を教えて頂く場合、まずお稽古をお願いしますとご挨拶に伺い、OKの場合はそこで日時が決まります。 稽古当日は手土産を持参し、稽古場所へお伺い。 目の前で高座を拝見、録音させていただき、それを覚えたら、後日改めてアゲのお稽古をお願いする。 という流れになります。 末広亭でトリを勤めていた圓太郎師匠にお稽古のお願いに伺ったのは、二つ目になってすぐの頃。 「厩火事を教えてください」 「ああ、いいよ。明日10時に家に来て」 「あ

[噺のネタ]19『家見舞』(扇遊師匠のお稽古で…)

「江戸っ子は五月の鯉の吹き流し 口先ばかりで腸(はらわた)はなし」 そんな枕で始まるこの噺。 どんな粋な落語なのかなぁ、と期待して聞いてみると… 全然粋じゃないという。 なにしろ別名が『肥瓶』こいがめ。 そう、今やめったにお目に掛かれない(アタシも見たことない)ボットン便所のお噺です。 アタシの前座の頃…18年前には寄席でよく掛かるネタでした。 それこそ2日に1回は出たんじゃないでしょうか。 看板の師匠だけでも、さん喬師、雲助師、権太楼師、一朝師、扇遊師、喬太郎

[噺のネタ]18『お血脈』(たけ平兄さんからのアドバイス)

「地噺は恥じらいがない人はやっちゃダメなんだよ。」 その言葉を聞いて以来、色んな地噺に挑戦してきました。 4/8はお釈迦様の誕生日、先代の文治師匠は毎年この日に『お血脈』を掛けていらしたそうです。 アタシは講談や芝居の件があるのでやってみたいと思い、二つ目になりたての時に、習いました。 そのネタおろしのひどかったこと(笑) 稽古の時は左程でもなかったのですが、実際に高座でやってみると、地噺の中にあるダジャレを言うのが恥ずかしくて恥ずかしくて…。 なにしろ噺の最中で「も

[噺のネタ]17『たらちね』(笑いを取るか、噺の世界を描くか)

アタシはこれを聞いたとき声が裏返りました。 ‥‥ それについては、後ほど。 さて、前座噺でお馴染みの『たらちね』ですが、落語協会では2つの型が主流です。 1つは私自身もやっている柳家に多い型で、うちの師匠(市馬)から習いました。 そのほとんどは小里ん師から出ているそうです。 うちの師匠も小里ん師から。 言い立てが 「自らことの姓名は、父は元京都の産にして、姓は安藤、名前は慶三、字(あざな)をごこう。 母は千代女と申せしが、我が母三十三歳の折、ある夜丹頂の鶴を夢みてわ

[噺のネタ]16『浮世床』(文治師匠からの)

寄席でお馴染みの『浮世床』。 アタシは個人的に「本」の件が面白い人に憧れを持ってまして、 圓太郎師匠と白酒師匠の『浮世床』の「本」の面白さに憧れております。 そのほか、三三兄さんの『浮世床』は圓生型で将棋で珍しい演出があります。 ストーリーはほぼなく、暇な若い連中が床屋に集まってワーワーやってます。というだけの、実に落語らしい噺。 寄席でよく掛かるのは、 字が読めないのに一生懸命読もうとする奴をからかう『本』の件と、 寝ていた仲間の色っぽい噺をみんなで聞く『夢』の所。

[噺のネタ]番外編(小三治師匠の『左の腕』松本清張)

10月7日。 小三治師匠がお亡くなりになりました。 今回は師匠の『左の腕』を取り上げたいと思います。 ん?何だそれ?と思われるかもしれませんね。 これは松本清張の短編小説。 実は小三治師匠はこの作品の朗読CDを出されているのです。 そして、この『左の腕』はただの『左の腕』ではないのです。 これまでにも何人かの噺家が挑戦している小説。 古くは三代目の三木助師匠の音源が全集CDに収録されています。(それは後程。) 色々と聞いてみて、この『左の腕』には、難しい、でもこ

[噺のネタ]15『芝居の喧嘩』(これぞ江戸弁。そして巻き舌とは。)

よく先輩方から 「芸人はお客様に愛されなくてはいけない」 と言われます。 当たり前のことの様ですが、これが中々難しい。 好かれたいと思えば思うほど、うっとしい奴だと嫌われて、じゃあ嫌われたっていいや、と思うと望み通りになるという(笑) 本当に難しいですね。 そこをお客様どころか、口うるさい楽屋内にも好かれ、尊敬されているのが一朝師匠。 前座から看板の師匠まで、一朝師匠にお稽古をお願いする方は後を絶ちません。 そんな一朝師匠の魅力の一つは、あの爽快で耳に心地よい江

[噺のネタ]14『がまの油』(言い立てより難しいのは…)

今回は『がまの油』です。ちょっと長いですがまずは口上の言い立て全文を。 -------------------------------------------------------------------------------------------- さぁ、御用とお急ぎでない方はゆっくりと見ておいで。 遠目山越笠の内、近寄らざれば物の文色(あいろ)と理方がわからん。 山寺の鐘轟々として鳴るといえども童子一人(いちにん)来たりて鐘に撞木を当てざれば、鐘が鳴るやら撞

[噺のネタ]13『四段目』(桃月庵白酒師匠から)

卒論は歌舞伎『助六から観る歌舞伎の歴史』。 歌舞伎を好きになったきっかけは大学1年の秋。国立劇場で『三人吉三』の通し狂言を観たこと。それからは幕見席を使ってよく観劇してました。 好きな役者は中村富十郎さんと坂東三津五郎さん。 二人ともお亡くなりになってしまいましたが(泣) 噺家になってからは、圓太郎師匠に「イヤホンガイド代わりに」(笑)よく歌舞伎座にお誘い頂いておりまして…ありがたい限りです。 相撲と芝居の噺については「本当に好きな者だけがやればいいんだ」という考えの