2010-09-11 『お墓』
しばらく前からずっと、キヨシローさんの曲が、
頭の中でぐるぐる回っていた。
なんの歌だ? ああ。
わかった。「お墓」だ。(っていうタイトルなのです)
で、こんなことを思い出した。
いつか読んだ井上陽水のインタビューにこんなくだりがあった。
「ふらっと成田空港まで行って、そこで旅行の行く先を決める。
ファーストクラスのチケットを買って、思いついた場所に行く。
ふだん命削って曲作ってるんだから、そのくらいOKでしょ」
みたいな話だったはず。
うひょーーー。すごいなーーー。と感心した。
とてもじゃないけど、そんなスケールの大きなことは無理だけど、
もっとささやかに、思いつきで適当に出かけることは好きだなー。
例えばこんな。
***
あれは、何年か前の真冬のこと。
前日の夜に、いちばん安い飛行機を予約して、早朝から乗り込んだ。
着いたのはどこだ? ここ? 海の上。関空。
適当に電車に乗って、適当に行き先を考える。
そのうち列車は、どんどん深い深い山の中に入り込んで、
ちらちらと雪が舞い始める。
ええっ??? 雪???
降りたらもう、雪がどっさりとつもっていた。
道ばたには膝くらいまで。路面にも、くるぶしくらいまでの積雪。
そして、どんどんどんどん、容赦なく空から雪が降ってくる。
歩いてる人なんて、ぜんぜんいない。
そもそも人の姿がほとんどない。
ずーーーっと道に沿った左右に、果てしなく奥まで続いているのは、
お墓、お墓、お墓、お墓、お墓、お墓、お墓…
なんといっても、ここは高野山だから。
私は、ブロンズ色に光る素材のロングコートをばさっとはおって、
先が尖ったヒールの革のロングブーツ。茶色い髪。
前日の夜に、新宿を歩いていたままの格好で、あまりにも場違い。
雪が降りしきる中、誰もいない墓場の中を、どこまでも歩いていく。
「奥の院」という看板をたよりに、どんどん奥へ進んで行く。
寒くて、寒くて。でももう寒さのあまり、なにも感じない。
大きなお墓、普通のお墓、古いお墓。有名な戦国武将のお墓。
たくさんたくさんのお墓、お墓、お墓。
私はお墓がこわい。うまく言えないのだけれど、なんか苦手。
でもあれだけたくさんあると、もうどうでもよくなってくる。
みんな死ぬんだなー。それだけ。
お墓ゾーンは、一の橋というところから奥の院まで、
どうやら2kmにわたって続いていたらしい。
奥の院。とてつもない重厚な空気。撮影禁止。
建物のいちばん奥に、御廟という場所がある。
その前でお参りができる。
あんまり細かいことは覚えていない。
長い長い年月のあいだ、どれだけたくさんの人たちが、
ここで、一心になにを念じていたのか。
たくさんたくさんのロウソクの炎がゆらゆらしていて、
あまりの空気の密度の高さと濃さとにくらくらしていた。
パワースポット、なんてちゃらちゃらした言葉が砕け散る。
言葉だけではなく、こちらの生半可な存在も、粉砕される。
そんなかんじ。
そんな特別な記憶の場所だ。
再び訪れてみたいような、そのままの記憶にしておきたいような。
***
これって、確か、いろんなことがあって病気になって、
仕事を1ヶ月半くらい休んで、手術受けたあとのことだ。
実に濃密にぼろぼろになっていた頃で、
誰にも会わずにひたすら引きこもるか、
こうしてどこかに出かけて行っていた。
まぁ今回も体調悪いと言えば悪いんだけど、
あのころや、21歳CIDP(慢性炎症性脱髄性多発神経炎)の頃に
比べれば、まだまだぜーんぜん楽勝です。ふふふ。
とはいえ、今のスタイルでこの仕事を同じように続けられるのは、
もしかしてそんなに長くはないんじゃないか、という気はします。
以前からそれを恐れていたけれど、だんだんどうでもよくなった。
ダメならダメで、また考えればいいや、と。
とにかく常に酸欠で、あまり難しいことが考えられないのです。
(ちょっとまだまだ喘息がひどくてね…)
そんなかんじで、なんとなく「お墓」を口ずさんでいた毎日。
治療家としての腕を磨くはずだったのに、いつのまにか占い師になっています。どこに行ってもしぶとく生きていたい。