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自分語りです。乙。(其の2)

前回の続きです。

2003年秋のこと。臨床心理士の養成課程の大学院試験は、もう残酷なくらいなーーーんにも書けなかった。仕方がないので、得意の創作作文をずらーーーっと書いた、ような気がする。しかたない。あたりまえなのだ。

そもそも大学の時点でわたしには専攻分野がなかったうえに、受験先はもうすでに心理系の職種で(病院とか、警察とか、児童相談所勤務ですよ。みんな超エリート!!!)実務経験がある人たちが主に合格するコースなのであった。どう考えたって、落ちるのあたりまえなのに、なぜか、なぜか、合格させてもらったのだ。正確な数字は忘れたけど、おそらく倍率は20倍以上だったはず。そういうときの引きがわたしは異様に強い。勤めていた鍼灸院も、採用1名に対して30倍くらいだったらしい。(特技、ということにしておきます…ごめんなさい)

その理由を、入学直後に、修論の指導教官にこう言われた。

「あなたは試験は全くできてなかった。普通なら落とします。でも、あなたがここで臨床心理学を学ぶことによって、助かる人がたくさんいると思ったから合格させました。がんばりなさい」

と。あああ… 「分不相応」という言葉の意味をその後わたしはもう嫌…!!!というほど身にしみて思い知らされることになる。

何度も倒れた。世の中には優秀な人たちが山のようにたくさんいて、自分のちっぽけな力では、どんなに頑張っても努力しても無理なことがある、としみじみと思い知らされる。こんなことだったら、素直に最初から試験に落ちて、こんな世界のことは知らなかったほうがどれほど幸せだったか…真剣にそう思った。

いまでも思い出すと、あんなに親身になって2年間、そして卒業後も大きなトラブルに巻き込まれてほとほと困りはてて万策尽きた時には、きっちり指導してくれた教官に申し訳ない気持ちが止まらない。なぜなら、結局わたしはその道からは脱落して、占い師になっているから。

もしいまお目にかかることがあっても、「元気に占い師やってます♪」とはストレートに言い出せない。最後にお目にかかった時には、単刀直入に「なぜ臨床心理士資格を取らないの?」聞かれたんだった。いちばんの理由は、途中でこれは鍼灸師辞めないと無理だ、と気がついたからなのだけれど、ほかにもいろいろおもうところがあって、どうしても口ごもって答えられなかった。そして、それっきりなのだ。

わたしは資格や権威が必要な世界より、いまのように野に出て世間で暮らす方が合っているから、もうあちら側に戻ることもないのだけれど。

わたしの職業選択は、そもそも人を助けたい、なーんて崇高な目的ではなく、こんなに生き辛いのはなんとかならないか?と思ってあれこれやっているうちに、それが専門になってしまった、ようなもの。

難病にかかったときには、いろんな先生に診てもらったし治療も受けたけど、運良く治ったのは究極は「運と自分の生命力」のおかげでしかない。結局のところ、他人が他力でできることなんてよくもわるくもたいしたことはない、とおもうのだ。(なんかのスイッチを代わりに押す、くらいのことしかできない)

そんなわけで、自分の仕事は「愛の為に」でも「光の為に」でもなく、それでもずーっと通ってる人や、わざわざ来てくれた人が元気になってくれたら、それはやっぱり嬉しい。というわけで、あしたからもまた、淡々と学んで、淡々と仕事をし続けるだけなのだ。ざっつおーる。

(続)

治療家としての腕を磨くはずだったのに、いつのまにか占い師になっています。どこに行ってもしぶとく生きていたい。