石垣島にて

画像1 石垣島にきている。塞ぎ込んでいて気分転換したいところに運良く出張が入った。べつに石垣島を希望していたわけではなかったが、結果的にワーケーションをしている。梅雨明けの次の日は夏真っ盛りの晴天だ。私は唐突にnoteの存在を思い出した。別に書きたいことはないのだが、だから書かなくてはいけない気がしてきた。こんな景色も、時間も、なにもかも、私は心震えさせることもできないまま過ぎ去っていくには惜しい気がした。というわけで、備忘録を書いている。
画像2 八重山そばをいただいた。ソーキそばよりもさっぱりしていて食べやすい。ここの店はとても繁盛していた。カウンターでは島人たちが黙々  と啜っていた。石垣島のリアルを感じた。観光よりも旅が好き。明確に両者は違う。私の中では…旅とは逃避と紙一重であり、同時に極めて日常的だ。その土地のなにかが自分をいつもとちがう深度で客観的に見つめさせる。自分はあくまで来訪者だが、その齟齬が私自身の思考を一つ上のフェーズに押し上げてくれるようだ。ふとあたたかい麺を啜る瞬間に、その感覚はやってくる。
画像3 ハイビスカスが咲いていた。元気の出る赤。とてもすてきだ。きみほど沖縄が似合う存在はないだろう。
画像4 ホテルのプールに朝いちで行ったら誰もいなかった。私はほっとして今年初のプールに入った。だれか先客がいたらやめておくつもりだった。昔はプールの授業が本当に嫌だった。みんなと入るプールは嫌いだ。でもひとりでぷかぷかと無言で水に浮いているだけの時間は、とてもよいものだね。空と同じブルーで、揺蕩うように揺られて、私はなにも考えずこう生きれたらと思った。大人になって、きらいだったものが好きになることはとても幸せなことだ、ふだん意識しないけれど、それはおそらく何かの柵から解放されたということだから。
画像5 マンゴーのパフェ。可愛らしいカフェに惹かれて入ったら、素朴で美味しいパフェが出てきたので胸が高鳴った。ふと昨晩の飲みの席で、何も考えていなさそう、と羨ましそうにいわれたことを思い出した。あるいはかるく批判されたのかも知れなかった。何考えているかわからないと言われることも少なくない。私は空っぽの人間で、他の人間に干渉しない。私は他者からしばしば感覚的だと思われるらしい。そう振る舞う自分もいるから、間違った評価ではない。それなのに、「へえ、そう」とがっかりした。
画像6 透明な漣…すぐそばにこのような場所があるだけで、幾ばくかの蟠りは確かに救われるようだ。
画像7 タコライスをいただいた。海の家のような雰囲気の小洒落たカフェだ。とてもおいしい。私のなかの子どもが「毎日食べたい!」と言っていた。店内ではヒッピーな音楽が流れていた。すこし楽しくて、しんみりした。
画像8 海ぶどう、を、初めて。ぷちぷち。好きかも。仕事も終わった。はじける。少し愉快だ。
画像9 陽が沈めば少し涼しくなる。私はiPadをもってbarに来た。トロピカルな風味のするオリジナルカクテルをいただいた。仕事ではなく、書きたいことを書いていく。それは息をすることに近い。いつかこの物語は完成するのだろうか。完成させたくない。言葉も展開も、日々変わっていくのだ。でも夜は更けていき、明日は来てしまう。私は生きているうちにこれを書き切らなくてはいけない、やはり。完全な生なんていつになってもありえないんだから。
画像10 やはり星がとても綺麗に見えるというのは素晴らしい醍醐味だ。都会は都会でもちろん光源に溢れ、特有の美しさはあるが、空にここまでの星が散りばめられていることにいつもは気づけない。天の川らしいものも見えた。実物はこの写真の数倍にすごかった、ということも記録しておきたい。

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