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青森市へ行ってきた(2019年9月5日)

 2019年9月5日に、青森市へ出張で行きました。前泊だったので、翌日の朝から散歩。Googleマップを片手に、ちょっと歩けば海に出られそうだったので、歩きはじめ、途中にあった善知鳥(うとう)神社へ行こうと思ったら、善知鳥神社の正面入口のところに、「奥州街道終点記念の碑」がありました。そうか、ここが奥州街道終点なのか、と(諸説あるみたいですが)。

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 善知鳥(うとう)神社にもお参りしてきました。青森湊が開港以前は「善知鳥(うとう)村」と称していた、との言い伝えから、青森のルーツとして信仰を集めているそうです。

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 それから海の方へ。青森港が見えます。地図を見てみると陸奥湾のいちばん奥にあって、港としては良港なのかな、と思いました。Wikipediaで調べてみたら、「江戸時代初期に弘前藩により港が開かれ、その後江戸時代を通じて藩の商港として栄えた」と書かれています。

 1908年(明治41年)に青函連絡船の就航により本州と北海道を結ぶ港として位置付けられ、1988年(昭和63年)の青函連絡船運航終了まで鉄道輸送と船舶輸送の結節点として位置し続けた。奥の方に見える黄色い船が、青函連絡船 八甲田丸です(この後、あそこまで歩いていった!)

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 聖徳公園は青森市の名所の一つでした。浜町埠頭には、明治天皇が視察のおりに3度訪れたのを記念し、昭和5年10月に「明治天皇御渡海記念碑」が建てられています。

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 トコトコと歩いて青森駅の方まで行くと、八甲田丸があります。線路も少し残っています。

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 八甲田丸の近くでは、津軽海峡冬景色の歌謡碑があったりもするのですが、自分的に「ああ、知らなかったな」と思ったのは、青函連絡船が空爆の標的になっていたこと。都市だけでなく、インフラも当然標的になるのでした。航行中の船も含めて、被災していることを知りました。

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 帰りは新青森駅まで出て、新幹線で帰りました。もしかすると、何度か行くことができそうな感じなので、まだこれからを楽しみにしたいと思います。

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