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私の幸せは、私がにぎっていく。

久しぶりに、自分の心がグラグラと揺れる出来事がありました。

その話はもうやっと自分の中で解消できて来たのですが、むしろ、最近起きていないような出来事だったからこそ、自分でも戸惑いがあって。

自分自身が自分にとって居心地のいい環境を選んで過ごしてきたことに今振り返るとありがたいな、と感じます。

もともと、人に何かを言われたり、怒りを向けられると、委縮しやすい私。
会社に勤めていた時も、そうやってどんどん自分の居心地が悪くなって、会社を辞めることになりました。

だけれど、やっぱり今回のことも含めて思ったのです。
「幸せの舵は自分でしか握れないな」って。

他人に握らせてはいけない、って思いました。
そして、他人に握らせようとするのもまた、自分なのです。

自分以外の人が何を言おうと、私を動かすのは、私。

起きた出来事にずっと悩み続けることも、悩まずに自分にとって豊かに過ごすことを選ぶのも私。

起こったことを思い出して辛いなぁと感じながらも、私がどうしたいか?という考えるチャンスとして受け入れるのも私。


ここに、何が正解というのはないけれど、きっと人に揺さぶられても、そのあとまで、自分から揺れ続ける選択はしなくていいんです。


自分の心がグラグラと揺れだしたら

自分の心が揺れるような出来事っていつでも起きるんだと学びました。

いくら自分でいい環境を作り続けても、整えても、やっぱり自分以外のことは、どうしてもコントロールできないから。減らすことは出来てもゼロにはならない。

そんな時はどうするのか。
答え、はないかもしれません。でもできることはある。

それは、自分自身の心のグラグラを押さえつけようとしないこと。
泣きたいなら泣く、悔しいなら悔しい、苦しいなら苦しいとしっかり自分の感情を受け入れること。

グラグラならそのまま揺らしておいて、その感情をしっかりと感じることかなと。自分自身、なんか上手に笑って流す方向に行きたがるのですが、感じると気づくことが生まれてくる。

怖くて向き合い切れない時は少し離れて、また気持ちが流れてきたら、向き合う。そんな風にして徐々に自分の中で心の整理をしていく。

この解決策が100%ではないかもしれない。

でも、私たちは、こうした感情をあまり良しとしない感覚を持っているというか、自分がネガティブであることに落ち込んでいるようなときがあると思うのです。

それを受け取ってみると、自分の感情がどうであっても大丈夫ってまたさらに思えるようになっていく。


私が最近読んでいたこの本に私が気に入った言葉がありました。
(内容が気になる方は是非読んでみて)

「自分の存在価値と、自分の人生の価値は、他人に判断させちゃだめだよ」

「判断は必ず自分で下すことだ。他人の意見は参考程度にしておけばいい」

エミリの小さな包丁より

誰かに何か言われて、落ち込んでいてもいいけれど、自分の存在価値はそこで一緒に下げる必要はない。それに他人の意見はやっぱり他人の考えでしかない。

逆に言えば、自分の価値は自分で好きなように決めていいし、自分が一番納得いくように判断していけばいいのだと思います。


むしろ、自分で自分の価値を握ることだけを意識していれば、自分が一時的に揺れるようなことがあっても、自分を立て直すことができる。

私たちは時に自分の揺れにすごく敏感になると思うんです。
だけど、揺れてもいいんだと思います。
その揺れを感じながら、自分の想いの方向を確かめて、また改めてチャレンジしていけばいい。


自分の価値を自分で感じながら過ごすことで自分の幸せを他の人にコントロールさせないことは出来る。幸せを他人任せにしない、と決めてその信念を自分で持つことができるからだ。

私の幸せは、私がにぎる。そして、その幸せを掴めるように行動することが、自分にできることなのではないかと思います。

幸せを自分でつかめることをもっと多くの人に知ってほしいし、そういう前提で自分のことをしっかりと見つめていくことを忘れないでほしい。


私もそうやって、今のこのワクワクする生活が送れているから。

出来事を乗り越えて、また違う世界が開けそうな気がして楽しみです!





【自己紹介・自分史】

私がライフコーチになるまで。そして自由な生き方を見つけるまで。

【プロフィール】
「自分の中にある想い」を形に本来の力を開花させるプロコーチ|早稲田→東大→外資コンサル→2回転職→ライフコーチ|学歴や経歴にとらわれず、自分の本来生きたいスタイルを取り戻す|持っている力を自然と使える自分に|ICF認定スクール|逗子ぐらし|日本茶インストラクター


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