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『曖昧さ あっての・・』

インドの寓話『6人の盲人と象』

ある日
6人の盲人が象を触って
その正体を突き止めようとしました

1人目
 象の鼻に触り
 「象とはのようなものだ」
2人目
 象の耳に触り
 「象とはうちわのようなものだ」
3人目
 象の足を触り
 「象とは木の幹のようなものだ」
4人目
 象の胴体を触り
 「象とはのようなものだ」
5人目
 象のしっぽを触り
 「象とはロープのようなものだ」
6人目
 象の牙に触り
 「象とはのようなものだ」

それから6人の盲人たちは
永い事大声で言い争い
それぞれが自分の意見を譲りませんでした

座右の寓話:戸田智弘著

木を見て森を見失うな?

一部だけで
それこそが象の正体だという思い込み

出来事の一部や
その人の一面だけを受け(見て・触れて)
 すべてを理解したような気になる

そして
その錯覚やバイアス
 かなりの比重で
 そのあとの関係性を形成してしまう

かといって(この場合)
6人の意見を事実とし
 そこから解を導いいたところで
 決して象にたどり着かない
 ・・・という事実

また
こんなことも身近にありませんか?
 *企画としては・・・
 *営業としては・・・
 *制作としては・・・
 *バックオフィスとしては・・・

セクションや部署ごとに
ある意味それなりに
意見を持ち寄っても・・・
「蛇だ」「木の幹だ」「ロープだ」

何のため・誰のため・・
顧客満足という『象』には
 気付かず辿り着かない議論!?

「木を見て森を見失うな」といった
 言葉だけが知識としてあるだけで
 意識や視座レベルまで
 ブレイクダウンするのは結構難しい

どうやらそこには
もう一つ上のレイヤーが必要らしい

モンタージュ写真

「モンタージュ写真」
 目撃者に犯人の輪郭や髪型
 眉・目・鼻・口などを
 思い出してもらい
 それらによく似た各パーツを
 合成して一つの顔写真とする

他人の顔のパーツの寄せ集め
それは平板的で曖昧さがない・・・
 故に
 パーツだけが
 クリアに浮き彫りとなり
 短絡的に別人だと
 ジャッジしてしまう
 傾向に向かう・・らしい

一方「似顔絵」
情報に幅があり曖昧さがある分だけ
 より犯人の特徴を
 際立たせて表現できる

 それを見た人は
 全体的なイメージを喚起され
 直観力が刺激され想像力が広がる・・・

 沢山の多面的な情報が集まり
 犯人検挙に繋がる・・らしい
 (最近では似顔絵の力が
  重視されているというのも頷ける)

ここでの教えは
「全体的な視野での観察」=「イメージ」
 という物事の捉え方や抽象度こそ
 意見や事実を持ち寄ったうえで
 ある意味最も重要な視点
 
 こんなにも
  テクノロジー全盛で
  効率と生産性重視の時代に
  「曖昧さ」Keyword・・とは!?

見えてるのに

●全員が真実(同じ象)に
 触れているという事実
●なのに個の見解では
 全体把握に辿り着かないという現象
●それらをいったん置き去りにして
 ボヤっと俯瞰して浮き上がるイメージを
 掴むことの重要性

ありがたいことに
我々は盲人ではないということ

業務においても
対人関係においても
 己の価値観や経験値や
 それらの延長線上にある基準で
 様々なモノを捉え過ぎていないか
 
 ちゃんと見てるか
 ちゃんと触れているか

「象の鼻しか触っていないかも」
 と自分自身を疑いつつ

イメージを意識した全体観察
いつだってボヤっと心掛けたい!

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