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『ダブルチェック』

チェックリストは好きですか?

どこかで縛られているような
信頼されていないような ・・・

単純作業を任されているような
間違えることが前提のような ・・・

ヒバリの引っ越し

◆春先
麦畑に巣を作ったヒバリの親子

◆初夏のある日
麦畑にやって来た
大勢の村人たち
「そろそろ
 皆で麦を刈らなきゃいかんなぁ」
ヒバリの子供
「お母さん
 麦刈りが始まるから
 引っ越ししようよ」
ヒバリの母親
「まだ大丈夫だよ」
 と平然と答えた

◆数日後
麦畑にやって来た
三人の村人
「ぼちぼち
 麦を刈らなきゃいかんなぁ」
ヒバリの子供
「お母さん
 もう駄目だよ!
 麦刈りが始まっちゃうよ」
ヒバリの母親
「まだ大丈夫だよ」
 と取り合わなかった

◆さらに数日後
村人が一人でやって来た
「じゃあ
 ぼちぼちやるかぁ!」
そこではじめて
ヒバリの母親は子供に言った
「さぁ逃げましょう!!」

他人事

この寓話(たとえ話)が伝えたいことは
「みんなでやろう」という
 掛け声やレベル(姿勢)では
 当てにもならないし
 どこかで他人事

他のメンバーはともかく
「自分一人でもやる!」という
 気持ちや覚悟があってこそ
 そのプロジェクトは
 初めてまともに動き出す
 ・・・という教え!

そんなキャプテンシーに
 引っ張られた経験や想いって
 あったりしますよね!

チェックリスト

人は間違える生き物
物忘れを伴う生き物
をしたがる生き物
そのくせ
 無駄な動きもしがちな生き物

つまり
 記憶や感覚にとらわれず
かつ
 及第点となる
 再現性の確保のためにも
 チャックリストは必要
 (と認めます)

そうすることで
「仕事」を「作業」という
 わかりやすいタスクに
 落とし込めるからだ

それでもモノによっては
 ミスが発生したり
 属人的な解釈が
 幅を利かすような場合

ダブルチェックと称して
 もう一人
 チェックの目を差し込む

二重機能のそれは
 意外なことに
 なぜかミスを増長させる
 (こともある)

さらに
 トリプルチェックともなると
 信頼性も安全性も
 がた落ちするから
 ・・・摩訶不思議

自分が見落としても
次の誰かが気付くだろう
・・といった人間の性


そう「俺一人でも麦を刈ろう!」
 が結局のところ
 目的を果たし得る
 肝となる要因!!

「その姿勢」+「チェックリスト」
・・という単純な足し算で
  ようやく成り立つという話 w

リーダーの覚悟

「そろそろ
 皆で麦を刈らなきゃいかんなぁ」
 ・・そんな評論家のような
   リーダーのもと

「自分一人でもやる!」
 というスタッフは

存在そのものに
 物珍さも相まって
 最初のうちは重宝されるが・・

評論家さんにとっては
いつの間にか
 周りを巻き込んで
 牙をむく脅威な存在
 勘違いされ

 煙たがられて
 抹殺されるストーリーに
 ・・・ただただ驚く


多様性を個性と読み違え・・
曖昧さを懐の深さと掛け違え・・

つくづく
「心棒」なきリーダーには
 辟易しつつも・・・

いや待てよ・・・
客観的には
 その遥か下を行く
 低次元の存在である
 自分自身こそ

⇒周りになびくことのないよう
 「ヒトリでも麦を刈る」気概

⇒ひばりのお母さんが見せた
 「シングルチェック」での
 確固たる ジャッジ基準

この二つを
本当の意味で自分自身の
 ダブルチェックとして
 クールに併せ持ちたい
    ・・・ところですね!!

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