見出し画像

『みんな』って『誰?』

主体性を発揮し
全社一丸となって・・・とか

この件については
推進や徹底を強め
多面的な検証を施し・・・とか

発する側からは
 なんだか「それ」っぽさが
 リリースされ

受け取る側
 耳障りよく
 妙に流暢に聞こえるため
 都合よく勝手に
 その意味合いを咀嚼する

故に
そのプロジェクトの終焉に訪れる
 定量的な未達成さは
 いつだって双方の思惑が食い違うw

いわゆる
 説明責任と質問責任の欠落という
 毎度おなじみの構図と化すw

曖昧

この手の話は
ちょいちょい目(耳)にしますよね

共通しているのは
「決めない人!」
旗を振っているということ

本来
意見を募って複数でもんで
 一人では辿り着けなかった
 次元に到達する
 ・・・これってGood  Job!

「こう思う」があって
 その差分や方向性や角度の違いに
 共鳴したり反論したり納得したり・・
 それこそが対話であり議論

厄介なのは
意見を持たずに声だけ募ること

そして決めたはずのモノが
「決めない人」の旗振りによって
 後日簡単に覆ったりする

そして
その場面で登場するのが
「みんなが・・・」というKeyword
(いったい誰やねん!?)

複数形

中一で習った英語は
鉛筆が1本なら「Pencil」

2本以上になると
複数形の『S』を付けて「Pencils」

例えば「10人中の大多数」といった
意味合いこそが
「みんなが言ってた」・・と思いきや

都合の良い
「たった二人」の声が
『みんな(複数形)』に変身!?
(「S」を付けちゃえば複数だもんね)

確かにそれは
「事実」ではあるのだけれど
決して「真実」ではない

「最適解」だったはずの『結論』は
 その人の思惑で
「納得解」へとすり替わるw

戦略に従う

組織や体制を整えることは
いつだって企業の重要課題だ

そしてここでも
同じような現象が頭をもたげる

スペックや人間力ではない
「謎の基準」にフォーカス!

そして
ハレーションの起こらない
 その配置を・・・
 配慮と置き換え
 組織と呼んでしまう

だって
みんなの声」だから!?
(「S」付けちゃいましょう!)

『組織は戦略に従う!』
 という大原則のもと
 多くの企業がしのぎを削る

「的を描いた後⇒そこへ矢を放つ」
 のが戦略でありビジネスだ!
 そのための布陣であり
 最大の価値提供を生むための
 手段が組織構成のはず

なのに
 そういった背景や根拠が
 この手の流れには
 全くもって見当たらない

練り込んで掲げて
さらにその先にある
 使命に向かうこと!

そしてその背中を
 TOP  自らが見せること!

かーーーるく
「矢を放った後に⇒そこに丸を描いて」
『ほらねっ』ってドヤ顔されても
 それは組織とも体制とも呼ばない!

抽象ワード

「みんな」とか
「現場」とか
「多くの」とか・・・
 その手の言語が出たら
 大抵『謎の力学』
 作用してること間違いなし!

“みんな”って誰?」
“多くの”って何人?」
 ・・・と
 すぐさま言い返せる空気・・・
 違和感のないカルチャーこそが

 心理的安全性を構成する
 一つのピースであるのは
 最低限の“お約束”であることを
 肝に銘じたい!

#309


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?