江戸時代の村は、高度な自治と民主的傾向を持つという。
それが本当なら、江戸幕府を中心とする封建的な世界で独特な存在である。
そもそも村の起源はどこにあるのだろうか。
ここで重要なことは、年貢の徴収・納入を村で請け負う(村請)であろう。
ここから年貢の連帯責任制が出てくるが、これによって多様な側面で助け合う契機ともなり、結束が強まり、共同体としての村が生まれてくる。
さらに民主的傾向があるとはどういうことであろうか。
象徴的な選挙(入札)について見るとつぎのとおりである。
村の自治は、徐々に歴史を追うほどその範囲が広くなっている。
今でいえば、税務署、町村役場、警察署、地方裁判所までの範囲を村役人と寄合で運営されていた。
それに比例し重要性が増したのは、特に村掟だ
村掟は村の構成員による寄合で決められるが、その効力は非常に強く作用したという。
村の秩序が、個人の権利より、なにより優先されている。
村は当時、国家のようなほぼ完結した世界であった。
そしてその濃密な閉塞空間で、ルールである村の掟に縛られて村民は生きていた。
幕末の時点で人口の8割前後が農民であったという。
そして、当時ほとんどの日本人は各々の村の掟に縛られ、常に仲間の顔をみながら生活していたことになる。
明治維新から150年ほど経つが、このときの体験は世代を超えて、今も深層心理に残り、日本人の規範となっているに違いない。