ギャンブルは真っ当な人間でも腐らせる

 大リーガーであり、日本人が我が国を代表する人物として、誇ることも多いであろう大谷選手の傍らで、常に彼を支えてきた水原氏のギャンブルにまつわる不祥事、(もはや不祥事ではなく、犯罪なのかもしれないが)についての残念な記事を目にし、ギャンブルがいかに人を壊し、当人だけでなく、周りの人まで巻き込み、傷つけるか再認識した次第だ。

早速いくつかのメディアは、水原氏という個人の資質の問題だけでなく、ギャンブルという産業が、持っているそもそもの問題、危険性も、当然指摘している。

だが、それをするならば、IRなどという名目で、外資による、あまりにも規模の大きな賭博産業を、この日本に公に持ち込もうとしている維新や自民党の政治家達は、どれだけ綺麗事を並べても、結局はカネのことしか考えられない、およそ先見性などなく、その場しのぎ、無責任かつ、出鱈目な人間達であり、本来そんな人物は政治家という公職に一番適さない人間であると、まともな成人は今一度知るべきだし、メディアは、そう訴えるべきだろう。

確かにギャンブルをする、しないは個人の自由、個々の責任であろう。だが、多くの善良な国民と、この国の公職にいた大人たちは、ギャンブルのデメリットがわかりきっているからこそ、長年にわたり規制してきたのだ。

それを、一時のカネに目がくらみ、国家と自治体ぐるみで無理やり新たな産業として根付かせようとする、腐りきった愚かな政治家達に、誇るべき国家観など本当はなにもないし、そんな彼らに、この国で暮らす国民、あるいは市民の暮らしに対するまともな思い、責任感などなく、愛国心などこれっぽちもない。

害をなすとわかりきっているものを、自分たちは関係ないとばかり、推し進める腐った政治家を見るにつれ、この国の最大の問題は、国民や市民から権力を付与された、本来一番厳しい倫理観を期待されている政治家たちであると、痛感する。

まさしく、腐ったミカンとは、彼らのことである。あとは国民が自ら、腐ったミカンをよりわけて捨てるか、彼らをまだ選び続け同じように国全体で腐っていくかだろう。


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