人である事に心が震える瞬間

 明日から、猛烈に働くのである。といっても私のモーレツはもう、猛烈というよりも普通の人にとっての、今日は普通に働いたという程度であり、自分を仕事から解放している時間は絶対に多いのだが。今回の場合自分から仕事を入れてしまったので仕方がない。

(良くソレで後悔する。本当に、前もって計画された予定が私はダメなのだろう。予定を自分でぶち壊したくなるのだ)

本当に嫌な世界である。(今は、そう感じている)。 だから、私なりに自分を奮い立たせる、何もかもつい馬鹿らしくなってしまう、嫌になってしまうキモチを、待てよと、そうじゃないだろうと、自分がお仕事モードに入るための何かが必要なのだ。ソレが個人的記憶の邂逅であったり、思い出の映画であったり、小説であったり、色々あるのだけど。今回はかなり、しんどい。

そんな時に結局私は、普通の人間なので、やはりそれは、人類の誰が見ても、素晴らしいとか、いいよねとか、そうなんだよなと、世界の誰もが感じる、人の思考であったり振る舞いであったり、歌であったり、パフォーマンスであることが多い。

いや、これを見て何かを感じれない人もいるかも知れない。見たくても見れない人もいるかも知れない。人間は多分愚かだが、素晴らしい瞬間が間違いなくある。愚かな行動の積み重ねに、時たま奇跡を起こす。それを感じれる人に生まれて、今生きていることは、喜びに違いない。

もちろん、この素晴らしさの背景とか、語りだしたら、たぶんお仕事モードに入ることができなくなるのだが、ネット社会の素晴らしさは、誰でも共有しながら、自分だけの方法で、一つの事象から、それぞれが物語を作り出せることだろう。というわけで、私のささやかな人としての、生活や思考を守るために、仕事に入るのである。




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