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祖母の涙。

将来の夢は小学生の頃から決まっていました。当時テレビで「小児病棟24時!」的なドキュメント番組をよく見ていた影響で

「白衣の天使になりたい!」

これが幼い時からの私の夢であり、今現在の職業になっています。

(私の人生で唯一ブレなかった意志です。笑)

しかし…基礎学力を学ぶべき小中学生の頃、怠けに怠けた私。

高校卒業時、天使になるための進学を当然のように考えましたが…行ける学校の選択肢は多くはありませんでした。

アホだったしあまり裕福な家庭ではなかったので大学なんて当然無理…。

専門学校もそこそこお金がかかかるし、そもそも受かる頭脳がない…。

結局、寮があり、働きながら資格が取れ、そして競争率が比較的低く、頑張ればなんとか受かる可能性のあった准看護師の学校を選択しました。

なんとか合格することができ、働きながら(給料をもらいながら)専門の道へ!

(…ちなみに初回で話した通り、この頃も「黒歴史」の真っ只中です。)

変則勤務で夜勤もやってたし、仕事の大変さや厳しさ、上司や先輩との人間関係のストレスは、半社会人として当然ありました。

でも、親に学費を出してもらいつつも、寮生活しながら、お給料を生活費や小遣いとして使うことができ、それなりの日々を送っていました。

そして、もろもろの悪いこと?も覚えつつ、いろんな恋愛もしました…笑


さて本題へ。

実家から車で1時間くらいの土地での寮生活。

学校と仕事(と遊び)で忙しく、実家には月に1回か2回程度顔を出すだけでした。

我が家はいわゆる分家なので、祖母とは一緒に暮らしてなかったし、その頃は祖母の顔を見るのはお盆か正月に仏壇に手を合わせに行くくらいでした。(祖母は好きだったけど、なんとなく叔母さんが苦手だったので…必要以上に行かなかった…汗)

と言っても、実家と祖母の家は歩いて3分の距離。私の父は年老いた母の顔を見にちょこちょこ行っていたんだと思います。(口が悪くて優しい言葉は言わないけど、父が祖母を大切にしていることは見ててよく分かりました)

きっと私も話題にあがっていたんだと思います。

久しぶりに祖母に会いに行った時、

祖母に「○○(私)に苦労させちゃってごめんね。働きながら学校行ってるんだろ?大変だろ?ごめんね。」涙を浮かべてそう言われました…。

なぜ祖母が謝っているのか?

なぜ祖母が切なくなっているのか?

元気な顔を見せれば祖母は喜んでくれるだろうと思って会いに行ったのに…

祖母は泣いていました。


私はこの時の祖母の顔を20年以上経った今でも鮮明に覚えています。

なんとも言えないチクチクとした感情と共に。


祖母は孫に苦労をさせていると悲しんでいたんでしょう。きっと自分の息子がお金がなくて、孫にそうさせてしまっていると考えていたのかもしれません。

そんなこと全然ないのに。

繰り返すようですが…我が家は裕福ではありませんでしたけど、それが「働きながらの学生」になった理由ではなく、学ぶべき時に怠けに怠け、勉強をせず進路の幅を狭めたのは間違いなく私自身のせいなのに…。

それに、そこそこ貧乏ではあったけど、私は親から(特に父から)は沢山の愛情を貰っていました。

兄達に言わせれば…そう、とにかく甘やかされていました…笑

(確かに小中学生の頃は、裕福でないことを悲劇のヒロインのように思ってた事もあったけど…笑)


話のオチはないんです…笑

ただ、年老いた祖母を泣かせてしまった記憶が今も強く心に残っているという話しです…。

一緒には暮らしていなかった祖母ですが、会う時はいつも内孫も外孫も関係なく平等に孫達と接してくれてました。(なぜかいつもそれが実感できていました。)


いつも心配してくれてたよね。

ばあちゃん、ごめんね。

泣かなくていいとこで、泣かせてしまってごめんなさい。

ありがとうね。

大好きだったよ、ばあちゃん。



最近、よくばあちゃんのことを思い出すんです。

妙に顔が見たいなって思うんです。


コロナで帰省出来なくて、お墓にも仏壇にも手を合わせられなけど、次帰れる時は仏壇に果物でも持って行きます。

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