少年の1peace 【repost】

【シークエンス】

 

少年は海を見ている。
海岸沿いの低い堤防のうえに座り、もう半時ほど海を見ている。
空は晴れてはいるが雲がまばらにあり、日が差したり翳ったりしている。
鳶が風に乗り羽ばたきもせずに中空を漂っている。一羽、二羽、と少年は数える。見える範囲で五羽まで捉える。
少年は十三歳で、この春中学二年生になった。
昨年の夏まで、少年はこんな風に海を見ることはなかった。
海は生まれたときから身近な遊び場で、通学路から見えるありふれた日常の景色だった。それが昨年の夏休みに変わった。
両親が離婚し、少年は父親とふたりで暮らすことになった。母親は実家のある海のない街に行ってしまった。
離婚の理由は直接聞かされなかったが、自室で耳をふさいでも聞こえてしまうリビングでの両親の言い争いから、なんとなく理解をした。
父親とは別に、母親に好きな人ができたのだ。
それまでの当たり前の生活が一変した。同じ家のなかに暮らしながら、両親が顔を合わせることがなくなり、そして母親が家を出た。
人を好きになるとはどういうことなのだろうと少年は考えた。少年にもこれまで何度かの恋心はあった。でも、それが結婚や夫婦というものに結びつくイメージはなかった。
同じように片親になった友達も何人かいた。彼らはどういう気持ちを抱えているのだろうか。それは自分のなかの整理できない気持ちと同じだろうか。そんなことを考えるとき、少年は堤防に座り、海を眺めるようになった。

ある水曜日、授業をさぼって少年はいつものように堤防にいた。海から吹く風が強く人影は少なかった。たまに見かける老夫婦が犬を散歩させている。鳶も風が強すぎて中空にとどまる時間が短い。沖を行く船が少しずつ水平線を越えていく様子を、少年はぼんやりと眺めていた。
ふと、笛の音が遠くから聞こえた気がして少年は辺りに目を遣った。
左側には赤く陽に焼けた顔に白い髭の目立つ初老のサーファーが、ボードを抱えて座っている。
右側にはスーツ姿の女の人がやはり座って海を見ている。二十代半ばくらいだろうか、風に髪が流されて目を細めている面影が少し自分の母親に似ていると少年は思う。そして、その向こう側から小さな子供を連れた母親が土手のうえを歩いてくる。
笛の音はその母親が吹く口笛だった。
節がある。知っている曲だ。小学生のときに歌った童謡。少年は歌詞を思い出してみた。

あした浜辺をさまよえば
昔のことぞしのばるる
風の音よ雲のさまよ
寄する波も貝の色も

ゆうべ浜辺をもとおれば
昔の人ぞしのばるる
寄する波よ返す波よ
月の色も星の影も

題名は思い出せないが、少年が好きな歌だった。
少年は口笛のメロディにあわせて頭のなかでその歌を唄った。
歌詞の意味は正確にはわからないが、心に訴えてくるものがある。

風の音よ雲のさまよ
寄する波も貝の色も

少年は何か大きなものに包まれているような気がした。すると不思議な感情が込み上げ胸を満たした。悲しくはない。つらくはない。少年の知る言葉では表現をすることのできないもっと深い感情だ。少年の目から、ふいに涙がこぼれた。
その刹那、「ピー」と不協和音が鳴った。
見ると、右側に座るスーツ姿の女の人が母子を見あげている。彼女が突然口笛を鳴らしたのだろうか。母親の吹く口笛が止まり、スーツの女の人を見ている。
その視線から顔を背けるように、少年のほうを向く彼女もまた涙を流していた。涙を流しながら、わずかに微笑んでいる。
そして少年と目が合い、互いに涙を流していることに気づく。

不思議なほど長くふたりは見つめあっていた。
気づくと母子はいなくなっていた。
彼女の口が動き何か言葉を発したが、風に流され少年には聞き取れない。聞き取れなかったが、なんとなくわかったような気がして、少年は頷いた。少年が頷くと彼女はまた何か言葉を発して、自ら笑顔を深めた。
少年は心にひとつ、ピースがはまった気がした。

 

(おしまい)

 

引用:「浜辺の歌」成田為三

関連作『彼女の1ピース』

 

tamito

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