「お､お願い､壊さないで｡ 私､なんでもするから｡ 駄目､来ちゃ駄目､来るなぁッ!!!」…そこで私は目を覚ました｡　　　　　　　　　　　　　　
 　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　どんな内容の夢だったかなんて､ひとつも覚えていない｡　　　　　　　　　　　　　　　　ともかく､私は強烈なイライラに急かされ目を覚ました｡ 外はまだ暗い｡ 枕元のスマホをのぞいてみると､午前３時５８分｡　　　　　　　 畜生､こんなどっち付かずな時間にひとの事起こしやがって､何様のつもりだ｡ 私はちゃんと頑張ってる側の人間なんだよ､お前やお前やお前やあなたさま方とは大違いでッ！
ねえ､なに無視してんの？ 聞けッ！！

自分の内側から来る熱に我慢できなくなった私は､仕方なく体を起こした｡ そして､そこでようやく､ 自分が全裸で眠っていたことを思い出す｡　　　　　　　　　　　　　　　　　ああ､そうか。私､隣ですやすやいびきも立てず眠ってるこの男と､近いけどまだ大丈夫なはずってやることやって速攻シャワーだけ浴びてそのまま何にも着ないで寝たんだっけ｡ そうだ｡ 仕事中からのイライラを強引に疲れで静めようって､いまいち乗り気じゃなかった彼氏のこいつに迫ったんだった｡　　　　　　　お陰様で､寝る時はだいぶ気持ちが落ち着いてたんだけどなぁ｡ 持続はほんの数時間､か｡

このイライラは､まだ何十年も上がるまでに間のある女の身体を私が持ってるせいで起きてるもの｡ 分かってるよ｡　　　　　　　　　　でも､それだけになんかしてやらない｡ あの自意識過剰なオッサンもあの自己中なオバサンもぜんっぜん使い物になんないあの新人くんも私の予想通りメンヘラだったあの新人ちゃんも､その他大勢の職員御一同様も､これは､私の世界の登場人物､全員の連帯責任だ｡
あ､もちろん､非常勤の中学校教員を解雇されたきり明後日でとうとう無職期間が３ヶ月目に突入しちゃう誰かさんの彼氏も､この不機嫌にはもれなく一役買ってる｡ お前さあ､寝る権利なんて自分にあると思ってんの？ え？ まさか､そんなわけないよねぇ？

ほれ､どいつもこいつもつべこべ言わずに働けよ｡ 嫌でも嫌でも鬱でも憂鬱でも難病でも脳がまともじゃなくても､そんなんはあたし理由として認めない｡ 働け｡ 働けっつってんのッ！
わ・か・る・よ・な？　　　　　　　　　　勤労ってのは唯一この国っていうか全世界の全員に課せられた義務なんだぜ？ お前等が働きもしないくせに相も変わらず生きてたりとかしたら､毎日ひたすら頑張り続けてる私とか私とかがまるっきり馬鹿みたいじゃねぇか？ なあ､そう思うだろ？ そう思うよなぁ？　　だったら､つべこべ言ってねぇで今すぐその体引っこ抜いて引きずり回して働けッ！！　　ほーれ､てめえら全員､死んでも死んでも死んでも関係ねぇ｡ は・た・ら・けッ！！

ストップ｡　　　　　　　　　　　　　　　　　途中からあの､もうとっくに死んでるクズ親父が乗り移ったみたいになってたよ｡ただでさえすっぴんの顔がだんだん似てきてて嫌なのに､性格まで？　　　　　　　　　　　　　　　　まあ､現に血は繋がっちゃってるわけだし､生まれた瞬間から中２の冬までずーっと真近であのクズなキレ芸見せられてきたんだし､ほんと筋書き通りだよね。私に出来るのは､この役立たずな遺伝を呪うことくらいだ｡

これから先も､私の手が届くとこまでのこのこやって来る純粋さが売りのお坊ちゃんお嬢ちゃんたちは､勝手に傷ついて勝手に私のこと怨むんだろうね｡ それがどうしたの？ 私にはいまさら変わる気､さらさらないから｡

頑張ってる人間は､甘ったれてる連中を傷つけても罪に問われない｡ それどころか､積極的に傷つけて追い詰めていく義務を有する｡ 皆さん､これが新しい社会に相応しい､新しい制度です｡　　　　　　　　　　　　　　　　　　ねえ､厚生労働大臣してる某様｡ほんとうに､そういう仕組みを作ってもらえませんか｡ 私､悪者扱いされるのとかもううんざりなんですよ｡ え､何､それ？ 自分の行い､ぜんぶまとめて正当化する気？ まるっきりあのクズ親父と一緒だね｡　　　　　　　　　　　　　　　　　　ええ､そうですけど､なんか悪いの？　　　　ううん､別に｡　　　　　　　　　　　　　　じゃあもう一生黙ってて｡

ああ､さすが全裸でいるのは寒くなってきたな｡ バスタブのお湯はそのままにしてあるし､追い炊きして今度はちゃんと入ろうか｡　　　それで､ぜんぶ水に流しちゃおう。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　目を閉じてシャワーを浴びていると､職場にいる人たちやいた人たちの顔が次々浮かんでは消えていく｡　　　　　　　　　　　　　　　どうして誰もかれも､自分のやりたいことをやりたがるんだろう？ 夢を叶えるのは義務じゃないって､そんなの当たり前のことだと思うんだけど､皆さん知らないんだろうか？

その誰かさんが実在してるのかどうかは知らない｡ ま､どうせクズ親父が自分を大統領に仕立て上げるために吐いたデタラメなホラ話なんだろうね｡　　　　　　　　　　　　　　「知ってるか？ １２歳の誕生日にアメリカだかどこかのグラミー賞で１２冠を受賞した驚異の歌姫がいるんだぜ｡ お前､この俺の娘のくせして､なんでひとつのアカデミー賞もアクタガワ賞もコクミンエイヨ賞も取れないんだ？なあ？ どうしてお前はそんなくだらないオンナでいられるんだ？ 父親であるこの俺に意見吐いて､反抗期とかいうわけわかんねえもんに乗っかって反抗して､その賠償金１円も払わないで､なあ､自分がクズだと思わねぇのか？ 今すぐ思えッ!!! ほれッッ!!!!!」　　　　　　　　　あの日あのクズは私の胸ぐらを掴むと一息にその台詞を間近で吐き散らした｡ そして､空になっていた１０００㎖のビール瓶を自分の横の柱へ､思い切り叩きつけた｡　　　　　　　　音は､覚えていない｡ だって私は､目の前にあるクズ親父の脂汗にまみれた真っ赤な顔と大袈裟過ぎるくらい激しく上下する肩へ釘付けになってたから｡

今でも後悔してる事がある｡　　　　　　　　あのとき私が本来取るべきだった行動は､　　①もう１本あった１０００㎖の空瓶を「はい､どうぞ」って笑顔でクズに渡して挑発し､愛娘の脳味噌めがけてものすごい勢いで叩きつけさせる｡　　　　　　　　　　　　　　　　　②何の脈絡もなく制服のスカートとパンツを脱ぎ棄て､「いいよ」って笑顔で挑発して､クズ男をお望み通り強制性交等罪の被告にしてあげる｡
その２つのどちらかを私がすんなり選択していれば…いれば一体どうなってた？　　　　死体が高確率でもうひとつ増えて､その後､しばらくの間は新着の父娘トラブルが引き起こした惨劇ケースとしてマスコミに取り上げられてもらえてたかもね｡ 全国区デビューだって夢じゃなかったかも｡　　　　　　　　　　その『かわいそうな娘さん』は生憎､とびきりの笑顔を浮かべた遺影写真､もしくは意識不明でベッドに横たわる重体患者さんのぼかし映像としての出演になってただろうけど｡ ま､それでも構わないよ｡   “悪くない展開だった” って､ディレクターさんか誰かからは褒めてもらえてただろうし｡

でも､残念ながらそういうのは全部が過去形で「もしも」のお話｡ 実際に起きたことは以下の通りだ｡　　　　　　　　　　　　　　　　クズ親父は私の胸ぐらを掴んだままでより一層顔を真っ赤に染め､何か言おうと口を開いた途端に激しく痙攣しはじめた｡ 次の瞬間､彼はゴボゴボと大量の泡を噴きつつ愛娘にのしかかる姿勢で大転倒｡ 救急搬送の甲斐もなく､　そのまま帰らぬ人になった｡

私はといえば､クズ親父の体重のせいで肋骨にちょっとしたひびが入るだけで済んだ｡ それくらい､あのクズ親父から一生涯解き放たれた代償としては安いもんだ｡　　　　　　　　　その解放感こそが､今もあの時も私の気持ちの中心｡ お母さんは､気を失ったクズの身体の下敷きになったに私が満面の笑みを浮かべてるの見つけて､思わずゾッとしちゃったらしい｡ 何にもおかしいとこなんかないっていうのに､どうしてだったのかな｡ 面白い｡

その後､色んなことがあった｡ いずれにせよ､私とお母さんが､３人暮らしだった頃と比べたらずっとすっきりした気持ちで生きられるようになったことは事実だ｡

特に､お母さんにとっては､ほんと､大きな出来事だったんだろう｡ 結婚してみてすぐ大ハズレ引いたのに気付いたけど､複数形のありきたりな事情で１５年近くも逃げるに逃げられず､怯えることを主題に暮らしてたお母さんにとっては､さ｡　　　　　　　　　　　　　　　あのひと､未亡人になってからすっかり変わったもんなあ。実はなかなかの美人さんだったのにも､３人で暮らしてた頃は全然気づけなかったし｡ もう育児も介護も済んでるんだから､１回くらい再婚してみたらいいのに｡ きっと､またハズレを引いちゃうのが怖いのかな｡

一方の私は､父親だったあの人に対して､嫌悪感こそあれど恐怖はあまり感じていなかった｡ きっと､血だけでなく性格も､それなりに繋がっていたからだろう｡　　　　　　　　　　　あそこまでではないものの､私も､何かのきっかけがあれば一気に胸の内が沸騰してしまう｡ それに､精一杯へりくだってるつもりでも「偉そう」とか「上から目線」とかって指摘をよく受けてしまう｡　　　　　　　　　　　　　　ああ､酒癖の悪さもか｡ だけど､あのクズとは違って自覚してるから､ちゃんと控えてる。

きっと､お母さんが一人娘の私に対して､　　「あなたは無理して結婚なんかしなくたっていいのよ」　　　　　　　　　　　　　　　　なんてくり返し言い聞かせてくるのは､まず､自分と同じく焦って大ハズレを引き当てないように。そして､自分の亡き夫と性格の近い私が､結婚相手や愛娘･愛息子にとっての支配者になってしまわないように､という願いを込めての行動なんだろう｡

残念ながら私､このまま順調にいくと､出会い運の悪さも歪んだ支配欲ももれなく引き継い  だ愛娘に相応しい順路を､もれなく進んでいっちゃいそうだけどね｡　　　　　　　　　　　ま､いいじゃない｡ 私の父親は､余計なものを最低限しか引き受けなくて済む絶好のタイミングで天寿を全うした､つまり人生を予定通りに終えた人間だった｡ 素晴らしい｡ 拍手｡

きっと私もこのまませかせか働きながらそれなりの数のクズ連中(本人達からは未申告)に深手を負わせ､然るべきいつかまで生きていくんだろうね｡ 文句ある？ え？ なんにも な･い･で･す･よ･ね？　　　 　　　　　　　　　　私にはねえ､あんたみたいな幸せ者と違ってこのちっちゃな世界を守っていくのに足る､真っ当な理由があるんだよッ!!!  は？ 証拠出せ？　あんた､次そんなこと行ってきたら本当にぶち殺すよ｡ わかった？  わかったよね？  じゃあ､いますぐ き･え･て｡ 

さて､と｡ そろそろ今夜の半身浴切り上げて、愛しのほぼクズなダーリンが眠ってるベッドに戻ろうか｡ ねぇ､好きだよ｡ 愛してるよ｡　　それはともかく､私､いつまでもあなたを無職でいさせてあげるほど優しい女じゃないからね｡ どうしようかな｡　　　　　　　　　　　明日は昼前１１時出勤でいい日だし､あのダーリンを有無言わせないでハローワークだか教職員協会だか教育委員会だか､よくわかんないけどそういうとこに突き出してから仕事に行こっかな｡ うん､そうしよう｡

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　「～さーん､理事から電話が入ってるんでお願いしまーす」
いちいち語尾伸ばすな｡ あんた､歳上のくせして気持ち悪いんだよッ｡
「お待たせしました｡ はい､今のところ問題なく順調です｡ はい｡ はい｡ そうですね､よろしくお願いします」
は？ 勝手に外出時間延長してんじゃねえよ｡私はねぇ､この月曜からめでたく正式な休職に入って､きっと来月辺り涙声で『や､や､辞めさせて､せて下さいっ…！』､なーんて電話してきちゃうんだろう某メンヘラちゃんの穴埋めプラン考えて､それ皆さんに実行してもらわなきゃで､だから､だから､わかんだろ､あたしはすげえ忙しいんだよッ！！畜生ッ！どいつもこいつもッ！あたしからここに居続ける権利を盗ろうとすんじゃねえッ！！

ガチャッ！！！！

「えっとー､大丈夫ですかー？ すっごい勢いで受話器､叩きつけてましたけどー？」
「うん､大丈夫｡ 気にしないで」
大丈夫なわけねぇだろ｡ ったく､どいつもこいつも覚悟しとけよ｡ 私は私のちっちゃな世界を､あんたにもお前にも誰にも､絶対に渡したりするもんか｡ できもしないくせに､いちいち壊そうとすんな｡ 以上｡

Miseducation(of me)　　　　　　〔おわり〕