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今宵、夜を写しに

夜景の光ってなぜかあまり好きになれない。

ごみごみしていて、ゴテゴテしていて、人もモノもあまりにも多すぎる都会。
そういうせわしなさの結晶みたいなもの。そういうイメージだった。

たぶん、自分が思う自然とは明らかに異質なものだからだ。

自然から生じた人間が、不自然なものを礼賛するのはなぜなんだろう。
そう思いながら、幾何学的な形をした空洞を降りていく。

明かりをたよりに、夜を移動する。
わたしは、東京という街を照らす、一つ一つの明かりの間を移動している。

明かり。それは人がそこにいることの証である。
逆に、明かりがあるからそこにいるのかもしれない。けれど向かうべきランドマークがそこにいつでもあることは、もしかしたら人類、有史祖先の悲願だったのかも…とすら思えてくる。

都市は、基本的には直線的なもの。
だから、ふいに視界になだらかな線があらわれると、人は無意識にそこに注目していると聞いた。

目をやった先では、金属製の手すりがゆるやかなカーブを消えて見えなくなっていた。そしてここにも明かりが灯っている。

曲線を支える直線。直線でできた円。円を縁取る明かり。

ある地方出身の知人が言っていた。
新幹線で夜、上京して、最後に東京駅ホームに滑り込む前に見える丸の内のビル群の景色がきれいで、いつも何度でも感動する、と。

夜景の美しさというのは光の配置そのものではなく、その光が寄り集まって照らしている造形物、オブジェや、建物や、街そのものの間接的な美しさなのかも。

それとも、街をつくり、道を照らそうとした人の思いが光っているのかなー。

…………………

石畳を歩きながら、本来都市というものは、直線の林の中に曲線を有するように、異質な他者を包含しつつ漠として、一方で確たるものとしてそこにあるのだと思えた。
それを、不自然で人間のエゴが前面に出たものと認識するかどうかはさておき。

ぼんやりと考えながら歩いて最後にたどりついた場所。六本木ヒルズの足元にたたずむ鋼鉄の蜘蛛。
その有機的なシルエットが、思いがけず私を安堵させた。
胴体を見上げると、今日もヒルズのビルは一直線に天に向かって伸びていた。

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以上が今日の撮影会のイベントレポです。
「風景写真家が教える、夜景をキレイに撮る撮影会」。

写真家の別所さんの言葉はおもしろく、同時に何か記憶の深いところをさらっていくような思いのこもった講義でした。夜景写真、すばらしかった。

あとgoogleさんが貸してくれたGoogle Pixel 3a。
今日の写真はすべて、このスマホの夜景モードで撮影したものだけど…
30分くらいのお散歩タイムで好きなだけ触らせてもらって、画質と感度がすごすぎて大満足でした。
技術の進歩ってすばらしい。

もしかしたら数年後、さらに進化したPixelが人間を夜景撮影に引っ張り出してくれるようになる、かもしれないね。

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