見出し画像

桜を想う日。

海岸線から遠ざかり、山奥へ分け入ったところにその駐車場はあった。
数年前の三月。わたしはそこで、桜の木を植えていた。


8年前に突然始まった「震災」。
ずっと東京に住んで、震災後2年くらいは現地にも行けていなくて。あのときから私はずっと部外者だった。
直接でも、テレビの画面を通してでも、被災者を前にすると私はいつも言葉をうしなう。

何度かボランティアに行き、被災地に残る傷跡も見てきた。でもそれがなんだったというのだろう?
そこにいたはずの、被災者にきちんと相対することができていたか。

忘れてはいけない、風化させてはいけない、と言う。
時を経て、被災地での記憶のディティールはたしかに抜け落ちていっているかもしれない。でも一瞬の風景や人びとの語りは、この8年、私の中でますます色の濃い影を落としている。

好きなだけ話してほしかった。話してその人が楽になるのなら、何時間でも。
その人が手を握ってほしいと言ったら、眠りに落ちるまで握って、さすっていただろう。
やさしさを押し売りする気は毛頭ないけれど。家をなくしたり親しい人をなくしたりした人に対しては、それくらいでしか、一人では役に立てない。

私は、そういうちいさなぬくもりを大切にできていただろうか。復興事業や再建ということばの中で踊っていただけではないだろうか?そういう反省がある。

被災地に住む方の心を照らし、起こりうる次の震災で少しでも多くの人が助かるように。
私は「桜ライン311」という活動に参加している。
陸前高田で、津波が到達した等高線沿いに桜の木を植えるというものだ。

この地では、津波は内地の奥まで到達していた。すべての苗木を植え終わるまでは、まだ途方もない時間とお金がかかる。
3年前、山中の駐車場の片隅に植えた桜は、無事に育っているだろうか。

望みと祈りの3.11。

最後まで読んでいただき、うれしいです。 サポートをいただいたら、本か、ちょっといい飲みもの代に充てたいとおもいます。