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エッセイ|あなたにとって人生とは

人生とは何か。
この問いはとてもデジャブで、
ある種軽々しいものに聞こえるほど人類の歴史に棲みついていて、
しかし唯一無二の正解は未だ存在しない。
これからもおそらく。

ある日、何気なくテレビをつけると、
ある病院で働く医者のドキュメンタリーをやっていた。

「あなたにとって人生とは?」
「うーん、そうですねえ。山あり谷あり、それを乗り越えて医療の発展に尽くすこと、ですかねえ。」

素晴らしいと思う一方で、どこかで聞いたことがあるとも思ってしまった。
些細な罪悪感はありつつ。

そんな自分はどうだろうか。
同じことを聞かれたらどう答えるだろうか。
これまでの人生を辿りながら考えてみた。

私は仕事ができる人に見えるらしい。
しっかりしているねと言われる。あなたに任せれば安心だと言われる。
それで仕事が大雨のごとくあちこちから降ってきて、業務量過多になった。
家に持ち帰った仕事を机に並べ、サービス残業という言葉を頭に何度も浮かべ、「何がサービスやねん」とツッコミながら毎日を過ごし、やがて私の心身は潰れかけるところまでいった。
・・・なんてことは、職場の人は誰も知らない。

小さい頃から同じようなことを言われてきた。
小学校ではあらゆる活動で班長になり、特別学級にいるハンディキャップの生徒と登下校をともにするというミッションを与えられた。
中学校では吹奏楽部の部長として華やかにトランペットを吹き、生徒会総務として出来の悪い生徒会長を陰で支えた。

そのレッテルはいつか剥がしてやりたいと思いつつ、手放したくない称号とも思って生きてきた。そのせいか、私は失敗することが大層怖くなった。

怒られることは絶対に避けたい。がっかりされたくない。
ギャップ萌えの反対の現象になりそうで怖い。
そんなことになったら立ち直れない。その時属しているコミュニティにはもういられない。逃げ出したい。でも逃げるなんて格好悪い。

そんな葛藤の末、私は奥義を手に入れた。必殺技だ。適度に数年で辞めるのだ。次のコミュニティへ行く。コミュニティを渡り歩く。
そうすれば外面がいいままの印象で私に対する認識が変わることはない。
しっかりした仕事のできる人、という勲章をずっと胸につけていられる。

バレる前に逃げるのだ。何の落ち度もない綺麗な服を着たポートレートを丁寧に額に入れて壁に貼り付けてその場を去るのだ。

しかし、数年しかいなかった人のポートレートには、客が寄ってこない。思い出が続かないのだ。次の写真も見たい、とは誰も思わないのだ。だから人間関係が続かない。

これって自業自得なのか。私がポートレートを回収しに行って、また新しいのを飾って、「私はここにいますよ~元気ですよ~」とSNS発信しなければならないのか。LINEで連絡しなければならないのか。

そんなのはごめんだ。私のなんか破り捨ててくれ。粉々にしてもらっていい。忘れてもいい。いっそその方が楽かもしれない。私はいなかったことにしよう。別人のでも飾ってくれ。

とはいえ、それでも私は私の人生を生きてゆくのだから、
新天地で新たにポートレートを飾るしかない。
生きるためには、働いてお金を稼ぐことがもちろん必要なのだから。
次の場所へいって、そこでまた新しいのを飾ればいいのだ。
そうこうしているうちに、以前の知り合いとの縁がまわってくることだってあるかもしれない。そのときにしっかり人間関係を築けばいい。

そう割り切って、自分のための人生を自分の顔と一緒に生きてゆく。

人生とは、ポートレートの連続だ。
どんどんアップデートして、最後の一枚を私の遺影にしてもらおう。

だから毎日の変化を楽しむ。
それが、未来のために、今のわたしができること。


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