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笑いの本質


笑いの本質に迫りたい!と日々考え事をしています。お笑い芸人になりたいとかはありませんが…


僕は笑いを上手く作れる人は、その場の会話の構造を理解することができる、抽象的思考が得意な人だと思っています。

笑いは会話の構造を逸脱した時に起こるものであり、構造の中で笑いを取ろうとしても心から面白いとなるのは、その構造に沿ったエピソードが強烈だった場合に限ります。


構造を逸脱するとはどういうことかというと、例えば「好きな食べ物は何?」と聞かれた時、構造に沿う答えはバナナ、リンゴ、メロンなどこういった答えになる訳です。構造を逸脱した場合の答えはゴリラ、コンクリートなど食べ物とは全く関係のない答えになります。構造に沿ったエピソードが強烈な場合はドドリア、ラー油など、食べ物ではあるけど普通ではそうならないでしょ!といった感じになります。


しかし、この構造を逸脱する笑いと相性が悪い組み合わせが3つあります。


まず一つ目は、真面目過ぎる人や抽象的な思考が苦手な人です。
真面目過ぎる人はそもそもお笑いなんて見るのかといった疑問もありますが、このタイプの人に「好きな食べ物は何?」と聞かれて「ゴリラ!」とでも答えてみてください。「は?」と切れ気味で返されると思います。真面目過ぎる人は、言い換えれば構造から出るということを許さない人です。構造から出ることを許さない人は、構造から逸脱した笑いに対して嫌悪感を示すのです。また、抽象的思考が苦手な人とも相性は悪いです。このタイプの人はそもそも構造を理解していないので、「ゴリラ!」と答えても「?」となってしまいます。

二つ目は、やりすぎ、こすりすぎです。
構造を逸脱するということは、受け手側からしてみれば、その逸脱についていくためのエネルギーが必要な訳です。構造からの逸脱をずーっと繰り返すということは、その分エネルギーを使うということであり、エネルギーが尽きれば「お前しつこいよ」となってしまいます。エネルギー容量が無尽蔵の人であれば、いつまでも笑ってくれると思いますが、容量の少ない人が相手であれば笑ってくれるのはほんの数回であり、容量を超えると「しつこい」という気持ちが勝るようになります。なので構造を逸脱する笑いを作る場合は相手のエネルギー容量を見極めることが重要です。

三つめは本物の笑いには勝てないということです。
食べ物の例で言えば、ドドリア、ラー油と答えるような場合が本物の笑いになります。正統派とでもいいましょう。構造を逸脱する笑いというのは、こうした正統派の笑いと比較した場合には邪道な笑いに成り下がります。「好きな食べ物は何?」と聞かれ、同じ場に「ドドリア」「ゴリラ」が両方存在していた場合、「ゴリラ」という答えが急につまらなく感じるという事態が発生します。邪道な笑いが好きな人はゴリラの方を好むかもしれませんが、やはり正統派の方が基本的には強いです。何故かと言うと、邪道な笑いが好きな人=構造を理解している人な訳ですが、そうした人は邪道よりも正統派の方が本質的には面白いということが分かっているからです。「ドドリア」が来た途端、「あ、本物きたわ」という気分になるのです。



こうした視点を持ってお笑い番組などを見てみると「あっ、この芸人は邪道だな、正統派だな」と分類することができるでしょう。


ある程度の分類は可能ですが、笑いに優劣をつけることは基本できません。
例えば、M-1グランプリで優勝した漫才師が絶対的に面白いかと言われればそうではない訳です。だからSNSでは「○○より□□の方が面白かった」という類の言い争いが起きる訳です。審査員の人たちは、純粋な漫才の完成度で審査してるんですかね?M-1グランプリの空気感もあるので、完成度のみで審査するというのは空気的に厳しいと思います。でも、「○○の方が勢いがあった!」という観点で審査していては、審査員失格だと思います。審査とはそういうものだと思います。完成度に拘るからこそ審査できるのであり、そこから目を背けてしまえばもはや審査員ではなく、観客です。SNSで叩かれたりするかもしれないですが、審査員の方にはプライドを持って審査して欲しいです。自分の好きな漫才師が評価されなかったというだけで暴れてしまう「お子様」のことはガン無視で良いと思います。


どっちの笑いが正しいということはありませんが、どっちがより好みかはあると思います。自分はどっちの笑いが好きなのかが分かれば、好きなお笑い芸人が芋づる式にたくさん見つかると思います。



以上「笑い論」でした。




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