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道成寺を終えて④

今まで三回にわけて、道成寺を勤めるにあたって考えたことを書いてきました。
特殊な能であると。
しかし、書いてきたことは全て、本当は他の能についても当てはまるのです。

第一回
たとえ汎用性のある囃子の手組であっても、この能のこの場面にはこれしかない、というギリギリを目指して稽古すべきこと。

第二回
どんな能でも、師匠を始めとした先人の跡を慕い、敬意と畏れを持って勤めるべきこと。

第三回
常に自分の寸法をいっぱいに使い、狂いのない間で一曲を打ち通すべきこと。

道成寺では、極端なハードルをいくつも設けることで、演者と観客にそれらを半ば強制的に体験させようとします。
それゆえに、この能の初演が能楽師の通過儀礼として捉えられ、またお客様にとっても能楽屈指の人気曲になっているのではないでしょうか。

ただ役者は、それが済んだら、今度はほかの能でもそれらをやらねばなりません。
道成寺のときは演出自体が役者を追い込んでくれていたことに感謝しながら、ルーティンワークになりがちな場面で自ら課題を発見していく、面倒でシンドい仕事に取り組んで行かねばなりません。

道成寺を常の能のように、常の能を道成寺のように勤められる、そんな風になれますように。

今回で最後にします。
今まで4回、読んでいただいた皆様、ありがとうございました。

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