それはお世辞なのか敬意なのか
お世辞を言うのは容易だが、真に敬意を払うのは難しい。
人生哲学系の本を読むと、このような文章に出会うことがよくあります。デール・カーネギーの本にも似たような言葉が紹介されてましたね。
正直いうと世にはたくさんの名言と呼ばれるものがありますが、ぼくはこれほど人間を的確に表した言葉はないと思っています。
というのも、ぼく自身が「適当にお世辞をいう人間」だったからです。
サラリーマンをしていた頃、上司へ報告や連絡をする場面がたくさんありました。そして、報告を行ったらそのまま行動に対してのアドバイスをもらってたんですね。
ですが、その頃のぼくはとんだ勘違い野郎でして、上司に対しても「あんたよりオレの方が上手く仕事できる」なんてことを平気で思っていました。
なので、上司からのアドバイスも、心では素直に受けていないのに「わかりました。勉強になります。では、〇〇のように行動します。」とお世辞を連発していました。
当然、上司としては「ウンウン、こいつわかってくれたな」となるわけなんで、次のぼくの行動に期待します。
ですが、当のぼくは何も頭に入っていないので、次もその次もずーっと自分よがりの単独行動をし続けていました。
そして、気がついたら組織のお荷物人間になっていました。まあ、当たり前の話ですよね。
21〜22歳のころの話なんですが、ぼくは本心とは違うお世辞ばかりを言っていました。その結果、組織に居場所がなくなりかけました。
でも、そのおかげで気がついたんですね。
確かに自分の頭で考えて、自分で決断を下して行動するのは大切なことです。ですが、自分にも歩んだ人生があるように、他の人たちも一人一人あゆんできた人生があります。
そしてその人生は、同じものは1つとしてありません。
なので、自分とは違う人生を歩んでいる分、人の行動や考えに対してより上質なサポートをすることも可能なのです。
社長や部長といった役職や社会的なポジションなんて関係ありません。金持ちだとか有名だとか権威持ってるだとかも関係ありません。もちろん、年上年下なんかも関係ありません。
人は皆それぞれの人生を歩んでいて、それぞれの価値観や哲学を持っています。
その時点で自分とは違う決断や、思慮を巡らせることができるのです。
なので、どんな人にも見習う部分はあるんです。そして、それに対して敬意を払う必要があるんです。いや、むしろ無意識に敬意の念がわきでなければなりません。
そして何より、敬意を受けた人も心が満たされ豊かになっていきます。
最近は、誹謗中傷が当たり前というか、中心になってきています。
そのような言葉を受け続けると、どんなにまっすぐ生きていた人でも絶望を感じ、世のことを不条理と思うようになって、悲観的な感情しか持たなくなります。
その結果、どんなに本心から敬意を払っても、当の本人は皮肉にしか捉えられなくなります。
で、自ら負の感情の渦に入り込んでしまう、、、と。
確かに敬意を払うのは簡単なことじゃあありません。本当に心から良いと思える部分を見つけ出し、何より自分自身が相手を素直に認める必要があります。
ですが、誰に対しても心から敬意を払うことができるようになり、そしてそれが相手にも伝わるようになれば、相乗的に心が豊かになります。そして、知のステージもグンと上がります。
お世辞ではなく、敬意を払えているか?人としての大切な基本だと思います。
田辺輝恭
ReveDunJourプロジェクトは"夢”に特化し、子どもたち若者たちへ夢の持ち方・叶え方を発信しています。世界で夢を叶えてきた達成者たちが在籍。彼らから知恵と考え方を絞り取ることを是非としています。大和の心で我が儘に。