#PR に頼らず人生を彩る努力
2022年からはじめたことのひとつに「お花のサブスク」がある。
隔週、約800円ほどで小ぶりなお花が届くサービスを以下の2社で契約して2ヶ月が経った。
結論から言うと、ブルーミーの方を今回で解約した。
ブルーミーとはおそらく相性が悪くて、初回に届いたお花のメインのバラが小さく、色も悪く、少ししなっとしていたことでワクワクしていた出鼻をくじかれた。
レビューを書くつもりがなかったので夕日ライトで撮影した写真しかないのだけど、それぞれこんな感じ
ライフル(大ぶりのお花ふたつとグリーンがかわいい)
ブルーミー(生け方が悪いのが恥ずかしい)
ブルーミーの方は値段のグレードアップをするとグリーンが添えられるプランになるのだけど、ライフルの方は一番安いプランでもグリーンが付いてくるのでやはり見栄えがいい。
あとは、隔週で届くお花の好みになってくるのだが、なんとなく初回のこの印象をひきづってしまい「これ以上お金を払うのはなー」と思い、ブルーミーを解約することにした。
ただ、ほぼ同額で同じサービスを利用してみて感じたことがひとつあって、なぜか、ブルーミーの方が「はじめの期待感が高く、その後のがっかり感が強かった」のだ。その理由は利用動機にあった。
ブルーミーのサービスを知ったのは、フォローしてる“素敵なお部屋系インスタグラマー”たち数名の投稿で。みな「#PR」で商品提供を受け、投稿している。素敵なお部屋を彩るお花を見て、自分も今年は慎ましい生活の中に自然が生み出した色を取り入れたいと感じた。
(その後、ライフルでも同じようなサービスをやっていることを検索で知り、ふたつのサービスを同時に受けてみることにした)
しかし、ブルーミーから自分の家に届いた花束は、想像よりも遥かに寂しげだった。期待を裏切られたという感情よりも、そもそも「#PRの人たちとは違うんだ」という気持ちが到来して、鼻白んだ。
おそらく、#PRの人たちが受けているサービスは、自分が利用する一番安価なプランよりも数段グレードの高いものだと思う。
結局、#PRの人たちの元に(無償で)届くようなおしゃれで華やかなものはある程度のお金を出さないと届かない。ささやかなだけにはっきりとした“線引き”が返って強く感じ取れてしまった。
その後継続して利用したが、心からそのブランドを好きでいられないためなんとなく気持ちが乗り切れず、解約の運びとなった。
値段や質ではなく、私はこのブランドの「ハッシュタグマーケティング」にお金を払いたくないという気持ちで解約した。
最近、何かを購入する時の動機の8割がSNSでの誰かのオススメによるものになってきている。たしかにブルーミーも、「#PR」の投稿を目にしなければそもそも知ることもなかったわけなので、投稿の是非を問うのは本当に難しい。ただ、「#PR」に躍らされて買ったものが「#PR投稿」以下のクオリティだった場合(もちろん、嘘はついていない。投稿にはいくら相当のものが届いているかは明記されていないので)、期待した分、失望も大きくなるリスクもあることを、消費者である自分も理解して選択していかないといけないよな、と思ったりした。
「センスの良い人の使っているものを真似して、手っ取り早くセンスが良くなりたい」
結局こういった自分の横着な心が「#PR」に絡めとられているんだと思う。
#PRを嫌悪したり大否定してはいられないけれど。自分の目・舌・耳・肌触りといった”人生そのもの”を誰かの #PR に委ねず彩る。それが「生きる努力」なんじゃないかとも思う。
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