もう私の放つもの全部詩

 ツイッターの投稿とかラインの文面が詩みたいだねってのはたまに言われてた。のが最近重なった。意識してたりしてなかったりする、し、他人に言われたからってのをダサいなとも思うけど、それはそれできっかけだしなんかもういいやってさっきルミネエスト出たところで思った。なにを? 詩です。もうこれから全部詩。挨拶も業務連絡も天気の話も例え話も噂話(あんまりしないけど)もマジメな話もオマージュも引用も酔ってても寝言でも話し言葉も書き言葉ももはや言葉じゃなくても全部詩。私の放つものこれから全部詩です。ボールペンから、タッチパネルから、キーボードから、指先から、くちびるから詩。なんなら目とか鼻とか毛穴からも詩。作品として残すときは小説の方が読んでもらえるのかなとかはてもしやこれはエッセイ? 日記? 残す意味は? 筆者の伝えたいことは? とかここ一ヶ月考えたりしてたけど一ヶ月考えてもわかんないしもういいやって私の放つもの全部詩です。詩は作品だから残します。えへ。

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 『黄金に浮かれた』五月が過ぎて今日から梅雨らしい。湿り気をものともせず金曜の夜はエネルギーに満ちている。新宿五丁目のジョナサンではいくつかのなんらかの集いが開催され喧騒と喧騒と喧騒がぶつかって重なって混ざって、別々の水源からの流れが集合してひとつの大きな河になるみたいなそんな感じです。そんな感じの河を岸みたいな窓際の隅っこの席で眺めながら私はこれを打っていて、店員さんたちはピンポンが鳴るとその席に行って注文を取ったり、コップの水が少なくなったら入れてくれたり、あときっと裏で調理とかしてる。ここは窓際だから外の様子も見えるんだけど走ってる車は8割方タクシーで、歩く人々の9割は傘をぶら下げてる。夕方まで降ってた雨は止んでる。向かいのビルにも飲食店が入ってるっぽくて金曜の夜だしあっちでも宴があるのだろう。注文を取って水を汲んで調理をする人がいるのだろう。すっごい適当だけどたぶん500mくらい向こうには私が在籍してる店があるからそっちでもあの娘やあの娘やあいつが宴をもてなしてるはず。大学時代の同期は浅草で飲んでるってツイッターで言ってた。私は新宿五丁目の窓際でこれを打ってる。
 これは高見の見物的なアレを気取っているのではなくて、私のいるここも間違いなく世界の一部で、むしろ誰かが私をつまはじきにしようとしたら、その誰かに私は蹴りを入れてやるよ誰か知らんけど。(たまに血の気が多い)誰かが酔っていて、誰かが働いていて、誰かが団らんしていて、誰かが孤独で、そういうムラのあるエネルギーたちで構成される世界は宇宙に似てる。星だって人だって強く輝くほど熱い。宇宙なんてなんもねーよってシロサキは言ってた。遊園地みたいなもんだって。遊園地楽しいじゃん。私この前初めてディズニーランド以外のジェットコースター乗ったぜ。とか言ったら顔面踏みつけられるかな。

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 人生で一番金回りがいいから例年よりグレードアップした父の日母の日のプランを母に連絡したら自殺でもするの? って返信がきた。死んでる暇なんかないよ生きるの楽しい。生きるの楽しいって言ってたあの人が頑張ってる(はずだ)から私もがんばろって思って詩を書いてる。最近はそういう恋をしている。

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