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夏を悼む

 夏が死んだ。今週いっぱい夏を悼んでいる。
 今年はいい夏だった。周囲の人々は皆それぞれに夏を謳歌し、それぞれに夏を締めくくり、それぞれに秋へ向かっている、ように見える。自分がそのように過ごしていたからかもしれない。世界なんて見え方ひとつだ。

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 8月31日はクラブにいた。目当てのDJがイベントのオープンとラストで回すタイムテーブルだったからオープンからラストまでいた。『エンドレスサマー』と銘打たれたイベント。浴衣か水着で来場すると適用されるディスカウント。本当は、その一週間くらい前から夏は終わり始めていると、気付いていてかいまいか、めいっぱいの夏を味わいつくして本日その日を今夏の節目にしようという魂胆の人々が多く見えた。(あるいは、自分がそうだった)

 会場は都内のビルの12階と13階で、12階にメインフロアがあり、13階はルーフトップになっていた。3番目のDJの途中あたりでメインフロアを抜け、場内を散策する。知人を見つけたり見つけられたりして、挨拶を交わしてはまたあとでと別れる。どうも身体が場所に馴染まず、ライチジンジャーを片手に所在なく12階と13階を行き来するうち、ルーフトップの隅に余った椅子やテーブルが放り出されているのを発見した。人々はフロアの中心に置かれたバーカウンターから放射状に集い、隅の備品置き場までその足は届かないようだった。スチールの骨組みにやわらかい塩ビのコードが張られたアカプルコチェアを二脚拾う。向かい合わせに配置し、ハンモックのように身体を沈める。下階のDJが回す音。晩夏の夜風。数メートル先の喧騒。そういうものを媒介にして融けていく。初めて訪れる場所に緊張していた身体がやっと弛緩していく。

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 一時間ほど微睡んだ身体は空腹を主張した。『屋上でハンバーガー食べよう』と目当てのDJがSNSで宣伝していたので、じゃあ食べようと決めていた。(素直で律儀だと思う)注文から5分強でハンバーガーは提供された。空いているベンチの、テーブルを挟んで向かいに座っていた人々に声をかける。承諾を得たのでそこに腰を下ろす。バーガーに噛り付く。向かいの3人組は数年越しの友人同士だという。気さくな人たちで、バーガーについてきたポテトを勧めると一緒に食べてくれた。3人のうちひとりは恋人候補を探しているらしい。すでに目を付けた相手がいて、一旦引いてきたとこだと楽しそうに教えてくれた。やたら酸味の強いピクルスを最後に平らげる。またあとでと席を立つ。

 眠気も食い気も満たされメインフロアへ戻る。ピンク色の照明。ミラーボールの反射。はにかむような笑顔のかわいらしいDJが、ミドルテンポで耳なじみのある洋楽を流していた。その目の前で揺れている知人を見つけたので隣に立つと向こうもこちらに気付いて視線が合う。笑みを返す。二言、三言、交わして、音に身体を委ねる。鼓膜を通して脳みそを侵させる。空気の振動が肌を撫でる。プレイが進むにつれDJの表情は少しずつ解けていき、それは音にも表れた。(あるいは、順序は逆だったのかもしれない)身体が軽くなる。序盤のはにかむような笑顔からは想像できないほど、あまりにもスムーズに高められていく。肩をたたかれ振り返るとまた別の知人がいた。「踊り狂ってるからkoだと思った」と笑う。いつの間にかフロアが埋まっていたことに気付く。DJが交代する。

 目当てのDJはプレイ中にほとんど目が合わない。図々しく最前に身を押し込む自分をその人の視線は通り越していく。それでも細く長い手足の先端まで存分に使ったパフォーマンスや、衣装やメイクや、流す曲や音、表にあらわれるすべての輝きの中心に、その人自身の熱を感じる。実際は誰が来ているかきちんと見ていて、客入りに合わせての選曲もしているとSNSで言っていた。この日は自分が好きだと話した曲がわりと序盤で流されて、TIPを渡そうとしたら同じタイミングで他に3人渡したがっていたから一旦引いた。自分の熱がDJを通じてフロアにきらきらと拡がったように見えて、穏やかな気持ちになる。Tシャツを脱いでフォーエバー21の水着で踊った。予定通りこの日、夏は全うされた。

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 日々多くのものを手に入れ、恐らく同時に多くのものを失っていく。夏の初めの自分は確かに今の自分の中にいるが、同時に今の自分ではない。

 夏が死んだ。
 秋には何を手に入れるだろうと期待しながら、何を失うだろうと案じている。
 あなたたちを、あなたを、失わないよう祈っている。
 と同時に、失うことを恐れすぎないでいたいと願っている。

 自分は自分の理想を形にしていたい。
 その形があなたの形を損ねてしまうことを案じている。
 せめてあなたに触れたとき、大切なあなたを損ねないでいられる柔らかさでいたい。
 中心の熱は保ったまま、あなたを受け止められる自分でいたい。

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