【レビュー】色々あるけど、それでもまだ私は生きていたいのかもしれない。

久しぶりに書きます。でも、書くことが目的というよりも、ある記事を読んだ感想をここに書き記しておきたいという、そんな目的です。

取り上げるのはコチラ。

バズってたらしいですね。私はたまたま流れてきて、今日はじめて知り読みました。

読みながら色んなことを感じたんですよ。特に、ここ半年位感じたさまざまな出来事から突きつけられた複雑な感情に突き刺さるようで、気づいたら普段あんましないコメントへの書き込みをしていた。

投稿しようと思ったら、「長すぎんだよバーカ」と運営に怒られた(訳:「comment_too_long」という通知が出た)ので、以下はそれをそのまま載せようと思います。こういうときに、のりでこのアカウントを取得しといて良かったと思える(noteの運営には、ちょっと思うところもあるんだけれど)。

という訳で、以下はネタバレも含まれ得る内容ですんで、読んだことなくて読みたいと思った人はここで目を止めて、上のリンクを踏んでみてください。

とりあえず、私が読んだ感覚としては、ただバズっただけのものではないし、センシティブなテーマを取り扱ってるという自覚のもとにさまざまな配慮がなされていたということあって、色んな人にお勧めしたいな、という記事でした。
この記事をお勧めしたいということで、私がこれを書く目的の半分は達成されているので、ここで止めても良いのだけれど、なぜそう感じたのかという、私の感想的なものまで見たいという人のため、あとは、この感想が筆者様に届いたら嬉しいナという淡い願望のために、僭越ながらレビューを掲載させていただこうと思います。
もし、この感想が頓珍漢だったり、傷つけてしまうようなことを書いてしまっていたりしたら、削除や編集などの対応をしますので、お教えいただければと思います。

というわけで、以下は自己満としてのレビュー記載です。

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はじめまして。某地方公立大学で教育について学びながら一人暮らしをしているモノです。
COVID-19に端を発して様々な出来事がこの社会にも、私にも起こりました。そのなかで、所謂「活動」「運動」とも捉えられることをしたこともありましたし(それはあくまで自分の手の届く範囲のためのもの小さなものでしたし求めた成果を十分果たせませんでしたが)、そもそも私にとって生きることは闘うことでした。それは、階層と名づけられる社会の分断を強く感じたことの現れなのだと考えています。これは私自身の感覚になってしまいますが、この世界には様々な「当たり前」がパラドックスのように存在し、それが当たり前だから、何となくすれ違ったまま人々が生き、社会は進む。それにふんわりとした抑圧を感じる人たちは、サイレントで強力な「当たり前」というその抑圧の性質を肌で感じ、声を挙げづらい。要約するとこんなように感じていた私のモヤモヤと強く結びつくお話を拝見させていただきました。
私はこうしたモヤモヤを根底に研究をしたいと志望しているのですが、それを周りへ伝えていく過程で、「難しい」「よく分からない」「かたよってる」などと言われたりすることがあったり、さまざまな出来事としてNoを突きつけられたように感じたことがあったりということから、この感覚を理解してくれる人がいないことはないけれど、もしかして「変な」考え方なのだろうかという漠然とした絶望感と共に生きてきました。だからこそ、鈴さんがカミングアウトにも近いこの記事を公開してくださったこと、この記事と私が出会えたことが、この記事がバズったことという事実を包摂しながら私への救いとして差しのべられた感覚を抱きました。
さて、私は、ある視点ではマジョリティでありますが、一方で別な見方をすればマイノリティという特性に属してもいます。マジョリティ-マイノリティの属性ひとつをとっても、画一的に捉えるということは本来は困難なはずで、でも、何となくそう捉えてラベリングしてしまうという偏見のようなものに、ひとつの「分断」があるのかもしれません。そこには、「こうあるべき」みたいな価値観もあったりしているのかもしれません。私たちはさまざまな体験をしながら生きますが、そこにあった多重的な感覚や気持ちを大切に生きていけるように、その気持ちに寄り添える社会になるようにという感覚をもって、これからの担い手として生きていこうと思います。そんな元気をいただきました。ありがとうございました。

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