書くことが思い浮かばない、という話

……などというふざけたタイトルで今日は少し、書いてみようと思う。

僕は今ふたつのスタイルにてここにいる。ひとつは「大学生の戯言」的エッセイ。「つみき」なんてタイトルでマガジンにさせていただいるもので、身の回りで起こったこと・世の中で起きたことを僕なりの見方書き方でテキストに再構成し想いを乗せてみる試み。時に感傷に浸り、時にキレちらかしと、感情の揺れ幅が大きいのも特徴だろう。或いは、少し視点をずらしてみたり、発想から境界を広げてぼやかしてみたりと、ある事象を多角的かつ多義的に考察していく、ということも起こっているように思う。「分解」と「再構成」という、どこぞのライトノベルに出てきそうな手法を、執筆というアウトプットに繋げている。
もうひとつは佐音名義でやっていた活動を引き継いだ創作。創作も、僕はそのモチーフを日常に見出だしたいと思っている。だから、上記のエッセイとの線引きがあってないようなものなのだけれど、心持ちとして「佐音」という人格によっかかって書いているものは、「凪屋佐音の作品」としてまとめてみている。そうやって無理くりにでも分けておかないと、感覚の船酔いになるような気がしている。

日常にアイデアを求めると、どうしても僕の日常の多様性がテキストにそのまま跳ね返される。それで、2020年春は、コロナという蛍光原色が僕の視界を遮ってしまっていて、日常のすぐ隣に彼がいらっしゃる。ふと目をあげればコロナ。今書いてるこれだってコロナ。お陰さまで最近あまりにも生活にグラデーションが足りない。豊かじゃない。仕方がないことなんだけど。
僕は色んなことを書きたい。知らないことをあえて書きたい。だからわざわざ、生涯の趣味としてる音楽の話だったり、大学での専門の国語科教育についてなるべく手をつけずにきたのに。そこで書くのはある種容易いのだ。日々言葉にしてきていることだから。でも、それでは僕の人生が豊かにならないような気がしている。何なら、書くというアウトプットの練習場であるこのプラットフォームが、機能しなくなってしまう。

だから、「コロナ」という色に染められた現実を前にして、僕の言葉はあまりにも無力だった。だから、最近はこのnoteから目を背けがちになってしまっていたように思う。

でも、ちょっと暫くは書くことを目的に置いてみようかと思う。無理せず、程々に。

自分の得意分野での執筆を、許してあげてみようと思う。

こうやって書いておいて、明日明後日の自分にちょっとした頑張れとプレッシャーをかけておきます。

おいお前、なんでも良いから書けよ!

……たまには肩の力を抜いて書くのも悪くない。

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