"生きがい”が必要な人生なんて、さみしい 週刊就職情報 1985.8

 大学を卒業して、一年間、西武デパートに勤めていたとき、組合の機関誌にのせるためのアンケート用紙がまわってきた。それに、「あなたの生きがいはなんですか?」と書いてあった。わたしは、「風呂にはいって、じゅうぶん睡眠をとること」と書いてだした。そのとき、「ああ、生きがいなんてことばがあったっけなあ」と思った。それから五年たったが、「生きがいについて」というテーマで、このエッセイを頼まれるまで、「生きがい」ということばを、すっかり、忘れていた。

 わたしは、ただ、毎日、のんびりできて、ゆっくりお風呂につかって、たっぷり眠れれば、それで幸せという怠惰人間なので、「生きがい」なんてこと、全然考えていないのだ。

 お風呂は、できたら毎晩はいりたいが、外国に旅に出たら、ホテルでバスタブ付の部屋に泊まるようなぜいたくはできないので、シャワーだけでもがまんする。だけど、睡眠時間をけずってまでしたいことは、まったくない。

 大学のときからものを書きはじめたが、会社に勤めているときは、なにも書かなかった。デパートの文房具売場にいたので、仕事はけっこうきつく、うちに帰ったら、母が用意してくれた夕食を食べて、お風呂にはいり、バタンと寝てしまう毎日だった。たまに会社の人達と飲みに行っても、うちに帰ってお風呂にはいって、十二時までには床につけるように計算して、きりあげていた。会社まで三十分で着くから、朝八時には起きればよかったが、毎日、最低八時間は寝ないとダメなのだ。

 からだが弱いわけじゃないのに、なぜか、早く起きるのが、とってもつらい。去年の夏、いっしょにスカンジナビアを旅した友達は、わたしの起きあがるようすは、まるで、「生爪はがし」のようだといった。朝早い汽車に乗らなくてはいけなくて、前日も夜遅くホテルに着いたのに、朝六時に起きたとき、ベッドにへばりついているからだを、無理やり起こしているわたしのようすが、まるで生爪をはがしているかのように、つらそうだったからだ。

 毎朝、キチンと起きるのでイヤで会社をやめてからは、これまで、しばらく日本にいて、お金ができたら、すぐ外国旅行という生活。日本にいるときはもちろん、旅に出ても寝てばかり。朝早く起きて汽車に乗っても、汽車のなかでは、また、すぐ寝てるんだから。

 会社をやめて、すぐ、シベリア鉄道でナホトカからモスクワまで、ぶっつづけじゃないけれど、八泊九日乗ったときはよかったなあ、ゆっくり眠れて。

 結婚している友達にいわせると、わたしほど気楽な人間はいない、ということになる。だけど、結婚している友達は好きで結婚したんだし、わたしは、相手がいないから、結婚していないだけのことだ。ぜいたくじゃない海外旅行の費用をかせぐことだって、今の日本ではむずかしいことじゃない。ただ、みんな、いろいろと、わたしのように半年もポンと旅に出れない、さしつかえがあるのだ。じつは、わたしは今も旅の途中で、インド・ネパールをまわってヨーロッパまで来て、今、ドイツにいる。

 まあ、わたしは、自分のやりたいようにやっているので、「生きがい」なんてことは気にならない。たっぷり眠れればそれでいい。でも「生きがい」が必要な人生なんて、ちょっとさみしいような気がする。







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