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ボラれたタクシー (週刊小説 1986.10)

 これまで、外国でタクシーに三回、ボラれている、

 最初は八年前、ロサンゼルスで。二キロぐらいの距離で、メーターは二ドルもいってなかったのに、十ドルだといわれたから、払ってしまった。外国旅行になれていなかったので、まだ、英語で文句がいえなかった。

 なぜか、その運転手は、「どこから来たか」とか、話しかけてきて、感じがよかった。わたしが降りるときには、「グッド・ラック」と、声をかけてくれた。朝からボラれて、グッド・ラックもあるものかと、思った。

 二回目は、六年前、イタリアで。ローマの空港に、夜、着き、予約していたテルミニ駅近くのホテルまで、タクシーに乗ったとき。やはり、運転手は、「星がたくさんでている、あしたは晴れるぞ」とか、英語で話しかけてきて陽気だったが、ヨーロッパにはじめて来たわたしは緊張して、気もそぞろだった。あとで、考えてみると、相場の倍くらい、払っていた。

 三回めは、四年前のニューヨーク。夜、空港に着き、マンハッタンのバスターミナルまでバスで行き、タクシーに乗った。乗ったとたん、「あなたは、まちがえて、ニュージャージー行のバスに乗ってしまった」といわれ、三十分以上、高速道路を走って、グリニッジビレッジの友だちの家に着いたら、州をこえてきたからと、百ドルとられた。もちろん、バスはマンハッタンに着いていた。単純なわたしは、ニューヨークは二度めだったのに、すっかりだまされ、ポンと、百ドルも払ってしまったのだ。自分の記憶力の悪さと、そそっかしさが、なさけなかった。

 さて、四年前から現在までは、二度とボラれていない。タクシーには、もう乗らないことにしたからだ。汽車とバスと、あとは、歩きだけ。夜、空港に着いたときは、朝まで空港でねばり、明るくなってから、バスで街に出る。どうせ、いつも、時間だけはたっぷりある旅なんだから。


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