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羽田圭介「スクラップ・アンド・ビルド」読書感想文

真面目にやっている受刑者には、優遇措置がある。
3類になると “ 集会 ” という行事が月に1回ある。

ジュースを飲んで、お菓子を食べるのだった。
それだけのことではあるが、たしかに集会だった。

雰囲気がちがう。
騒がしさこそないが、皆が独特の熱気を放っている。

集会のときだけは、刑務官もどことなく普通だった。
3類になった最初の集会で、久しぶりにコーラを飲んで泣く者もいたと雑談を振ってくる。

10年ほど前に1人だけだけど、コーラを飲んでオシッコを洩らした者もいるとも、別の刑務官も言っている。
たしかにコーラは強烈だった。

講堂での集会が終わり、整列して「イチッ、ニッ、サンッ」と番号をかけて「イッチニィッ~!」と行進して戻る。

工場前で足踏みを続けて「ぜんたーいっ、止まれっ!」で足と手をピタッと止める。
そのときに、誰かがブッとおならをした。

通常だったら「気がたるんどる!」と「その場で足ぶみ~っ、はじめぇぇ!」と5分はやらされるし、機嫌によっては10分はやらさるけど、そのときだけは刑務官は笑って、一同も笑う。

そこに運わるく金線(上位階級の刑務官)が通りかかって「おまえらぁ!なに笑っとんじゃぁ!」と刑務官も含めて一同丸ごと叱責を受けた。

その日に読んだ本になる。


表紙の写真で選んだ本

作家名は知らない。
なんの小説かもわからない。

官本室の中では、新しい本になる。
薄めの本でもある。

手にとってみると、表紙の写真に目が留まる。
この写真が気になる。
なんの小説なのだろう?

官本を選ぶ時間は5分。
この次は昼休憩で、そのあとは、はじめての集会がある。
じっくり選んでいる心の余裕がない。

単行本|2015年発刊|121ページ|文藝春秋

読み終えた直後の感想

還房して点呼して、読みはじめて、21時の消灯に。
延灯して、3時間かからず読み終える。

本を閉じた。
感想文を書くために、直後の読感を確める。

しかしながら「とくにない・・・」としかいいようがない。
121ページのボリュームだからか。
おもしろくないとか、つまらないとか、一切ない。

独居房の中では、本選びに失敗したという読感があったものなら「やってしまったぁ」と悶々とするのに、この本についてはそれすらない。

というか、よくわからない。

介護について描かれているけど、なんてことはない。
家族についても書かれているけど、どうってこともない。

彼女について、友達について、再就職についても描かれているが「そうなんですか・・・」としかいいようがない。

あるいは、すべてが中途半端というか、浅いというのか。

昼間に、コーラを飲んだからかもしれない。
あのコーラで、感情の壁が広がりすぎたのもあるだろうけど、なにかがこつんと当たる感触がひとつもない。

やはり読書とは、なにかに対しての飢餓状態にあるほうが、よく心に響くのかもしれない。

芥川賞受賞作と知ってからの感想

主人公の日常が、自宅を中心にして進んでいく。
変化もない日々が、祖父の介護を含めて淡々と進む。

山場といえば、87歳の祖父が浴槽で溺れたときのみ。
祖父が死んでしまうのか、と焦ったのはあった。

読み終えてから、本の裏表紙を見て、この本が芥川賞受賞作だと知った。

通常は、そんな賞の小説を読み終えてから「とくにない・・・」なんていう感想を持つのは、人としてヤバイのではないかと懲役病が発症する。

「よくわからない・・・」なんて、ああ中卒なんだ、しかも「そうなんですか・・・」なんて社会不適合者ではないのか、そんなことだから受刑者になったのだ、などと自己批判のループに陥る。

が、この本についてはまったくない。
ある意味、健全な読書だった。

無理やり考えた感想

湿っぽい木綿布団に入るが、あのコーラが効いていて、なかなか寝れない。
感想の続きを考えた。

あの表紙の写真だけが不思議。
本文とは、どこをどうしても、まったく関係ない写真。

写真に惹かれて借りたのに、まったく関係ないから「とくにない・・・」という読感が残ったのかも。

いや、写真と本文は関係ある。
あの写真は、主人公が、新しい生活で目にする風景かもしれない。

主人公は、茨城県のつくば学園都市の会社に就職が決まる。
社宅は阿見市にあって、実家からそこに向かう京王線の電車内で不安になりながら終了している。

この本が発刊された2015年の頃は、あの一帯は圏央道の建設が進んでいる。

水田の真ん中に、あの写真と同じ橋脚群はあった。
それを通りかかって目にしたときには、これから高速道路が通るのかと興奮を覚えた。

高層ビルが建つときに似た興奮というのか。

当地で新しい生活をはじめた主人公も、圏央道の予定地を通りかかって、あの橋脚群を目にする。

そのときは、祖父は死去しているが、不安だった新しい生活は出来上がりつつある。

だから、スクラップアンドビルドで、あの表紙の写真。

思いがけなく、そんな想像がふくらんだ読書となった。

登場人物

田中健人

28歳。
実家となる自宅は、京王線沿いの多摩地区のマンション。
母と祖父の3人暮らし。

大学を卒業してから勤めていた会社をやめて、行政書士資格試験に向けた勉強を独学でしている。

試験勉強と並行している、再就職の面接も週イチで行なっているが不調に終わっている。

生活費の負担の代わりに、祖父の食事の補助といった介護もしているが、わがままに苛立ちも湧いたりもする。

負の感情を打ち砕くように、自重力トレーニングを続けもしている。

そんな1年の生活を経て、再就職が決まる。
勤め先の茨城県の阿見市にある社宅へ引っ越す。

祖父

87歳。
戦争中は特攻隊だったというが真偽は不明。
少々、認知力が落ちているが、日常生活はできる。

単身となってからは、長崎の次男夫婦、埼玉で1人暮らしの息子との同居を経て、娘である健斗の母親の元に引き取られる。

長崎弁で「もう、死にたか・・・」とか「はよう、迎えにきてほしか・・・」と1日に何度も口にする。

健斗の母親。
60歳。
夫は病死。

嘱託社員として働いている。
祖父には、悪態をついたり怒ってばかりいる。

大輔

健斗の中学からの友人。
大学卒業後に介護福祉士となり、グループホームに勤めている。

徹底して介護を施したほうが体も頭も弱るので、陰惨ではない尊厳死へ近づく、と健斗にアドバイスする。

ネタバレあらすじ

田中健人は独白する

今日も自重力トレーニングをする。
筋肉を鍛えるためには、いちど筋肉を壊す。

回復したときには、以前よりも強い筋肉になる。
スクラップしてビルドするのだ。

それにしても、祖父が腹立たしい。
ことあるごとに「死にたか・・・」とすぐに卑屈になる。

1日に何度も「はよう、迎えにきてほしか・・・」と、気弱に口にする。

そんな祖父と接するうちに、ある考えを固めた。

祖父には、どんな小さなことでも世話してあげて、自力でやる機会を奪うことで緩やかに死期を早めてあげる。

直接、死に結びつく行為は良心も咎めるし、法にも触れるのでできないが、身体を弱めれば、頭も鈍くなり、生命力も弱っていく。

究極の尊厳死といえるが、そのほうが祖父にとってもいいのではないのか?

そう思って、祖父の身の回りの介助に励んだ。
祖父は、すっかりと甘えてわがままも言う。
感謝も口にする。

が、こちらの意図には気がついてない。

祖父のしたたかさ

この計画は進んでいるようにも思えた。
が、弱々しくも見えもする祖父は、以外に元気なのだ。

耳がよく聞こえないというが、しっかりと聞こえているようでもある。

こっそりと冷凍ピザを焼いて食べたりしてる。
しかも野菜をトッピングしている。

デイサービスの女性ヘルパーの体を触ったりもする。
次の季節の服も、こっそりと準備してもいた。

見てないところでは、体の動きも素早くもある。
風呂で溺れたときには、驚くべき生への執着も見せた。

以前に同居していた長男夫婦に苛められた、という祖父のぼやきも、実は違うのでは、との疑問も抱く。

ラストの5ページほど

そんな祖父との日常は、1年に及んだ。
終わりとなったのは、再就職が決まったからだった。

勤め先となる茨城県の社宅への引越しの日、祖父と母親には駅まで見送られた。

改札を抜けてホームへ。
電車に乗る。

外の景色を眺めながら、祖父と母親はうまくやっていくのか心配になる。

はじめて実家を離れて、1人暮らしするのも不安だ。
離職率が高い会社なのも不安だ。

電車は京王線を新宿に向けて進む。
多摩川を越えた。

進んでいく車内で、辛い状況でも闘い続けるしかないんだ、と祖父の姿を思い出しもした。

窓の外に目をやる。
セスナ機が雲に隠れるのが見えた。


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