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渡辺淳一「失楽園 下巻」読書感想文

刑務所では、なぜか過去を振り返る。
懐かしい気持ちにもなる。

3年以上も経つと、懐かしいのパターンがわかってきた。
いちばんに懐かしいのは、自分の足で歩いた時間と場所。
湧いてくるようにして、細かく思い出せるから懐かしい。

車で走ったときの風景や、テレビやパソコンでみた風景などは、劣化して剥がれ落ちて舞っていくようにして細部までは忘れてしまっているからか、懐かしいとまではなりづらい。

歩きが記憶を固まらせる。
目から入った風景もそうだし、そのとき何を話したとか、なにを思ったとか、空気の湿度も匂いも、太陽の光も吹いた風も、歩調のリズムまでも、細かい諸々の出来事までがこびりついた記憶となっている。

失楽園の上巻の感想文を書いて、そんなことも考えた。


失楽園ブームについて

発刊当時の失楽園ブームのときは、自分はまだ少年だった。
少年だから、失楽園の意味もわからないし、なんでブームになっているのかも理解できない。
ただ、30代や40代の女性がすごく好きだった。

ネットが普及してない当時は、彼女らと出会う術はナンパしかないのだから、街に出てからは歩いて探す。
声をかけてから「失楽園しませんか?」とナンパのネタにしていただけだった。

声をかけるのは正面から。
まず目線を合わせるところから。

女性は視線というものを敏感に感じ取るから、30メートル先くらいからでもこちらに気がつく。
手を上げたり振ったり、ペコっとしたり、なんでもいい。
声をかけるといっても、言葉なんてそれほど重要じゃない。

言葉よりも、そこからの足が重要。
相手の足先がそっぽ向けば、もう話もきかない。
足と心臓は連動しているようで、足の動きが速くなれば心臓も速くなっているようだし、変わらなければ心臓も通常のようである。

その足に、こっちの足を合わせているうちに、30メートルくらいの距離はすぐになくなる。
それがあってから言葉を交わす。

そうそう、このときに前屈みになってはいけない。
前屈みで近づいてこられたら、自分だって身構える。
女性だったら恐怖しかないかも。
背筋を伸ばして、膝を少し曲げるくらいがいい。

とにかくも、まだ “ 熟女 ” という言葉がないこの時代の、30代や40代の女性って可愛かった。
夫以外の男と出歩いたこともない。
夜に外でお酒を飲んだこともない。
若い頃は「嫁入り前の娘が・・・」と門限もあったりして、男性経験が1人とか2人なんてのも沢山いる。

ちなみに、エッチのHは “ ヘンタイ ” からきているという。
まだ彼女らの若い頃は、セックスと口にしただけで「ヘンタイ!」だと非難された世代。
たとえ、ひと回りもふた回りも年下の少年であっても、こういったのは年齢は関係ないらしく、男のほうに有利さはあったのかも。
正邪は別にして。

・・・話が飛んだ。
はやり、歩いたときの出来事ってこびりついている。

で、まとめると、失楽園は男目線で書かれているのに、当時の女性にも支持を得たのもわかる気がするということです。

単行本|284ページ||1997年発刊|講談社

読感

読み終えたときホロリときた。
大人になった気がした読書だった。

だいぶ前に、映画の「失楽園」もテレビで観たけど、黒木瞳の良さがわかっただけで、あとは感想などなかった。
それが今は、小説の「失楽園」を読んでホロリときてる。

当時を思い出して読んでもいるから、少年老いやすく学なり難し・・・という苦い気もおきてくる。
そっと本を閉じた。

時代背景は、1990年代の前半。
終身雇用と年功序列が崩れかけている頃。
閉塞した日本を、どことなく感じさせる。
そんな頃に、日経新聞に掲載されていた小説。

不倫の肯定はしてない。
否定もしてない。
性社会的体面を織り込みながら、性愛の激しさを描写して進んでいく。
2人が心中するまでの様子がしんみりと伝わってくる。

性描写について(自主規制あり)

作中のセリフなどは、いかにも劇的。
少しだけ冷めてしまうところもあるが、実際にありそうな切迫感あるリアリティーが伝わる。

○○○○○○○は繰り返し描かれているけど、くどい感がないし、むやみに興味を煽るものでもない。
○○○○は○○ではない、という著者の目線を温かく感じさせる書き方になっている。
○○だの○○○○というのは、ただの○○。
少なくとも○○○○は○の○であって、一言では片付かない。
○○の○○が入るから○○になるとすれば、それを言う著者には共感が深い。
著者が医者でもあるというのが、説得力も感じさせる。

○○○○については、いたって○○○○である。
今でいう○○○○○○○というのか。
○を使った○○○があったり、○○○○○○があったりするが、○○○が○○とされている、
さほど○○○も出てこないのも時代を感じさせる。
いたって○○○○である。

すんなりと活字の性描写に刺激されてしまうのは、懲役病の一種である。
・・・と思いたい。

男女の心中はこれで最後かも

作中では阿部定事件、有島武郎の心中事件など、男女の心中を取り上げて絡めている。

阿部定事件については、猟奇的事件ではなくて、何万に1組という性に結合したカップルが起こした事件と、作中の2人は話してもいる。

男女の心中といえば、1878年(明治11年)に来日して著された「イザベラ・バードの日本紀行」で “ 結婚を反対された若い男女の心中が非常に多い ” と読んだ。
数日前にも、井戸の中へ若い女性が飛び込んだとある。

1890年(明治23年)に来日したラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が著した「神々の国の首都」では、田舎の盆踊りで若い女性のみが集まって「好きな男と結婚させない親は、もう親ではない、子のかたき!」と歌って踊っている様子が描かれている。
深刻そうでもあるし、なんだか、男女の心中の多くは、女性が主導する気がしないでもない。

1923年(大正12年)が、有島武郎の心中事件。
1936年(昭和11年)が、阿部定事件。

で、現在では男女の心中など耳にしない。
やる理由もない。

そういうところでいうと、不倫の果てに心中なんてのも、平成前期の失楽園ブームで最後かもしれない。
ホロリときたのは、もうあの30代や40代の女性はいないのだなというノスタルジーだったのかも。

登場人物 - プロファイリング風

久木祥一郎

55歳、世田谷区桜新町にて妻と暮らす。
都内に所在する現代出版社勤務。
前科前歴なし、行動からは犯罪傾向は認められない。

その年の8月、勤務する会社に、不倫を非難する匿名の投書が送達され問題視される。
子会社への転籍の辞令が下り、それを機に自主退職する。
直後に妻とは離婚するが、当人は至って冷静である。

10月6日、軽井沢の貸し別荘にて青酸カリを使用した心中を果たすが、これについては松原凛子の項にて述べる。

松原凛子

38歳、既婚者、杉並区久我山住。
書道講師。

松原凛子には、ある種の特殊性癖も認められる。
阿部定事件の供述書を入手して朗読して興奮を表し、一定の理解を示して、すぐさま窒息プレイを久木氏に要求。
実際に行なった末に驚喜している。

また「いちばん幸せなときに死にたいとおもっていた」との吐露からすると、若い頃から軽度の自殺願望を抱いていたのは明らかである。

それらの延長線のようにして、大正時代の作家、有島武郎が軽井沢で人妻と心中した事件にも明色な興味も抱く。
心中した彼らが発見されたときには、腐敗してウジが沸いていたという記録から「死体発見は死後硬直中がいいわ」と具体案を次々と久木氏に示す。

現場となった軽井沢の別荘は、松原凛子の父親が所有していたものであるが、そこを心中の場に決めたのも彼女である。
事後、管理人に早めに発見されるようにも差配している。

久木氏は、当初は心中には気乗りしないようでもある。
が、松原凛子の主導と要望に従った側面も認められる。

衣川

久木氏の大学時代からの親しい友人。
新聞社から出向したカルチャーセンターの業績を上げて、上位職へ栄転する。
退職と離婚をした久木氏には、厳しい言葉を投げる。

久木氏には、仕事も家庭も友人も失った寂しさの痕跡があり、これらから推測すると自暴自棄になった疑いもある。

水口

久木氏とは、現代出版社の同期入社。
出世コースを歩んでいたが突如として失脚。
子会社に移動する。
ほどなくして肺癌で入院。
6月に死去。

このことは、久木氏にとっては、死について考る契機となったことは想像に難くない。

久木文枝

久木氏の妻。
銀座のメーカーで陶器コンサルタントとして勤務。
結婚25年目にして、夫が不倫相手にのめり込む事態に困惑。
万策尽きて、離婚届を突きつける。

久木知佳

久木夫婦の1人娘。
既婚者。
父親の不倫については、当初は久木文枝の味方をする。
最終的には両親の仲を取り持つように刻苦するが、いずれも不調に終わる。

川端

久木氏の高校時代の同級生。
飯田橋所在の、とある研究室に勤めている。
研究で使用している青酸カリの杜撰な管理により、そこを訪れた久木氏は2名分の致死量に相当する分量を手に入れることに成功する。

状況と照らし合わせれば、このときの青酸カリの入手がなければ、心中が実行されたのかは疑わしい。
川端氏の過失は重いものである。

松原晴彦

松原凛子の夫。
48歳、医大教授。

松原凛子への身辺調査を行ない、不倫の全てを知りながら離婚には応じないと冷静に言い放つ。
怒りはそれほど見せることなく、笑みすら浮かべている。
のみならず、家を出ようとする松原凛子に効果的な暴言を吐き、さらには手加減をしながら暴行も加えるあたりは、ある種の歪んだ愉悦が介在しているかのようである。

もしそうであれば、松原凛子が逸出したあとの家に女性を招き入れて見せつける行為にも、それらが垣間見えるようでもある。

久木氏が退職するきっかけとなる会社への匿名の投書も、内容から推測するに、松原氏によるものと思われる。
松原氏の歪んだ愉悦が、2人を心中まで向かわせた遠因との見方もできる。

しかしながら、よくよく考えてみると、本来はとくに落ち度もない被害者的立場ではある。

ラストのネタバレあらすじ

その日、久木と凛子は、軽井沢の別荘へ向かう。
2人は別荘で心中するのだ。
都心部を抜けて関越道に入る。
料金所で通行券を手にした凛子がつぶやく。

「ワンウェイチケットね。パラダイスにいきましょう」

凛子は、すでに来世を、2人の愛が永遠に変わらぬ楽園と信じきっているようである。

性という禁断の実を食べたアダムとイブは、楽園から追放されたのではないのか?
果たして、2人は楽園に戻ることができるのか?

そこまで自信はない。
が、たとえ楽園に戻れなくても不満はない。
人間の最大の願望を2人は心ゆくまで満喫した・・・と久木は車を運転しながら思った。

翌日の夜に、2人は心中を決行。
その翌日の昼に、2人の死体を管理人が発見した。
セックスの歓喜の頂点で青酸カリを飲んで、抱き合って結合したままの状態で絶命していたのだった。
2人が理想としていた心中だった。

テーブルには、2人の署名がある遺書が残されていた。
「最後のわがままを許してください。2人を必ず一緒に葬ってください。それだけが願いです」とだけ書かれてあった。

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