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死について考える【95日目】

死ぬまでこのままでいいのか。

失敗への恐怖か、変われない自分への恐怖か。

現状から変わりたくないというのは人間が潜在的に持つ省エネの機能らしい。

かわろうとすることで、変わることで、チャレンジすることで、エネルギーをかなり消費する。人間はなるべくエネルギーを消費しないように過ごす。いざという時に動けるためだ。人間というよりは、動物全体的にそうであろう。動物にとって、サバイバルで、弱肉強食の世界で、生き残るためには、エネルギーの調整が重要不可欠なのだ。

サバンナで、突然、肉食動物に追いかけられる草食動物を考えるとわかるだろう。それまでは草を食べていて、のんびりと過ごしているが、時には、休みもして、寝転がったりするが、肉食動物が現れたとなると、警戒し、また、追いかけられるものならば、全速力で逃げる。その時に発揮できる力を温存すべく、ふだんから思いっきり走ることは滅多にない。エネルギーは耳のアンテナを張り、寝る時間も20分などと短くし、活動量を増やし、エネルギーの消費をそちらにも当てる。その分、食事は常に取り、エネルギーの補充をはかる。そこまで詳しくはないが、おそらくこんなとこだろう。

逆に、肉食動物はどうなのか。肉食動物も同じであろう。ただ、こちらは、逃げる側ではなく、追いかける側だ。追いかけられないので、休む時間は草食動物より多いだろう。寝る時間はたっぷりとり、無駄なエネルギーを消費しない。そして、獲物を見つけてからは、徐々にエネルギーを出し、捕らえられるタイミングで一気に解放する。そういう単発でのエネルギー消費だ。草食動物も単発の力は大きいが、ふだんのエネルギー消費もなかなかにある。その分、肉食動物はふだんは抑えて、単発に全エネルギーを注ぐ。

人間はどうだろうか。人間は雑食だ。単発でも長期間でもエネルギーのコントロールはできるだろう。コントロールできるからこそ、人間なのだろうが。しかし、そのコントロールを本当にコントロールできているのかというのは甚だ疑問だ。もちろん、できている人はいるだろう。私はできていないのだろう。きっと。

コントロールしなくとも、何事にも果敢に攻め、失敗を恐れず、チャレンジすることへエネルギーを投資できる人はある意味肉食動物なのだろう。逆に、チャレンジしない者はそれこそ、草食動物なのだろう。肉食系と草食系というのは理にかなった言葉だ。しかし、サバンナの草食動物はエネルギーを消費していた。それは食べる、警戒する、逃げる、だ。逃げるの場合は、肉食動物と同じくらいのエネルギー消費がある。つまり、何かピンチになった時は、それなりに力が出るということだ。そのピンチは、自分の安全が犯される時であろう。自分の安住の地が取られるような時に反発するのだ。よく村にダムをといって反対する住民のように。また、食べる、警戒する、にもエネルギーを使っている。食べるに使うことで、デブを作り出す原因にもなると思うが。少々口が悪くなってしまったが。

このエネルギーのコントロールを、自然に行うのではなく、人間は自分で自由に操れる能力があるのだから、雑食なのだからこそ、選択し、駆使していく必要があるだろう。

死ぬまでこのままでいいのかと疑問に考えたならば、一度はこのエネルギー消費について考え、自分がエネルギーを消費する場所を選ぶべきだ。そして、それに向かって変わるべきであり、チャレンジすることは何よりも大切なのだ。

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