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死について考える【100日目】

ついに100日目ですが、最初はふつうに書いていきます。

結局は死について考えて、死はどうしようもないものなのだから、今から心配しても仕方ないというのが結論かなと。ただ、どうでもいいことではなく、死のあとのことを考えて行動する、生きることも重要なのだと感じた。

死のあとというのは、天国だったり地獄だったり、輪廻転生だったり。それだけでなく、周りの人、特に家族であったり、後輩や次世代を担う子どもたちであったり、そういう人たちに何を残せるのかということもまた今のうちに考えるべきなのだろうと。実感は沸かないかもしれないが、年齢と共に自然に考えるようになるだろうが、そういうことがある、そういうことを考える必要もある、そういうことを考えることになる、ということは念頭に入れておくべきだ。

今を生きるというのは大切だ。死を考えていまやるべきことを、やりたいことをやっていく。今を一生懸命生きるのだ。しかし、時には死を忘れて行動することも大切であろう。それは子どもの頃のように、だ。初心の心を忘れずにとはいったものだ。

そして、何より、後悔はしないよう生きていきたい。死んでも後悔するようなことはなるべく避けるべきだろう。もちろん、黒歴史や、やってしまった、でなってしまうこともあるだろうか、そういうのをひっくるめて人生と思うようにするのも大切なことだろう。

また、信念を持って突き進むことも大切だ。それは人生を目覚ましいくらいに盛り上げてくれるだろう。人生の行く先を定め、成長することの軸となる。成長することこそが人生。その糧となるのであれば、信念を持って物事に取り組むべきなのだ。

もうだいたい死について考えすぎて、正直考えることがない。振り返りでもまとめていこう。

これはいい機会にはなったかもしれない。だけれども、正直変われたかと言われると変われてない。当初、ポジティブになるという名目で、死について考えるとポジティブになるらしいと聞いてやったに過ぎず、ポジティブになるという抽象的なことは結果としてどう現れているかはわからないのだ。だから、変わったか変わってないかも正直わからないが、生活習慣は一切変わっていないので、変われていないのであろう。

もちろん、多少は変わったこともある。しかし、この死について考えることをやったから変わったというのは違うと思う。おそらく、やっていなくても変わっていただろう。ただ、こうやってアウトプットするのはあまりやってこなかったので、そういう経験をできたのは良いことなのではなかろうか。別にNoteにまとめなくても良いわけで、また、他のこともやってみたいことちょくちょく思いついたので、やってみようとは思う。特にこうやって文章を書くことは意外と楽しいのかもしれない。文章自体は稚拙だが、また、勉強する気も起きないわけだが、いや、勉強すればそれは成長につながるのだからやったほうがいいのだろうけれども、まずは、ひとまずは、行動をしてみるという方針でいきたい。それについて、もっと詳しくなっていって、やっていく中で、もっとこうしたらいいのではないかと思った時に、勉強すればいいのだ。

100日続けるのは良い体験だっただろう。ただ、簡単なことすぎて、あまり経験としては役に立たないかもしれないが。そして、あまり世に出せないような題だったこともある。死について100日書いたといっても、研究者以外は特に何とも思わないだろう。ネタとしては面白いかもしれないが、あまりそういうキャラでもないから、誰かに話すこともないだろう。

ひとまず、1日10分、この時間がなくなるのだけは楽になったかもしれない。習慣にしてしまっていたから、その10分はまた別のことにチャレンジしてもいい。それこそまた文章を書くというのもそうだし、別のことでもいいだろう。何かを続けてもこうやって成果が出なくても得られることは少しはあるのかもしれない。やらないよりはやったほうがいい、だろう。

特段書くこともないが、また明日から何をやろうかなと考えて今日はこれでお暇させていただく。

もしこれを見ていた方は、死について考えてみてもいいかもしれないです。こんな結果ですが。

あ、最後に、もう100日経ったのかって心沈んでますw

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