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死について考える【89日目】

退屈な日々を過ごし、何も成果がない日々を過ごすと、時間はあっという間だったりする。それだけ熱量の入ることがないから記憶が抜け落ちているのだ。熱量をもって取り組めることでも、時間は早く進むが、熱量がない場合も時間は早く進む。その時の感覚というよりは、時間が早く進んで感じたというのが正しいだろう。

過去のできごとを思い出せないのだ。だから、そこの記憶がごっそりなくなって、もう月日が経ったと感じる。

興味のないことはそれだけ記憶に残りにくい。刺激のないできごとはそれだけ記憶に残りにくい。

逆に、興味があり、刺激のあるできごとは記憶に強く残る。そして、それを思い出すことができ、その数が多ければ多いほど、こんなにも活動したのかと感じる。そうして、例えば、今年は充実したなぁ、などと感じる。

もう1ヶ月過ぎた。もう1週間過ぎた。もう1日が終わった。もう1年が過ぎた。つまらないことばかりをしていると、そうやって記憶が残らず、時間が早く過ぎたように感じる。

感動のない変化のない1年、そういう感じだ。

逆に、たくさんの物事に精力的に取り組めば、それが記憶に残り、感動が残り、笑った怒ったなどの記憶も深く残り、今年もいろいろあったなと、期間が長く感じるはずだ。物事に取り組んでいるその瞬間だけは熱中して時間が短く感じるかもしれないが。

日々、何もせずに暮らすと、あっという間に歳をとる。若い頃は時間が過ぎるのが遅く感じたはずだ。特に小学生はそうだろう。それは毎日新しい刺激が、新しい発見があったからだ。大人になると、その発見がなくなる。なくなるわけではないが、経験、記憶、知識があるため、新しく感じなくなるのだ。新しいことがなくなると、刺激がなくなり、どうでもいい1日となり、記憶に残らず、その日を忘れ、忘れた日は日数としてカウントされず、自ずと時間が短く感じる。

新しいことへのチャレンジは刺激を生み、時間を長く感じさせる。失敗も成功も全部そうだ。

興味のあることというのは深く追求しようとし、そこで新たな発見をする場合が多い。

生きている時間というのは短い。しかし、それを長くすることができる。不老不死の薬なんかではなく、そうやって記憶に残すことで、感覚を長くし、たくさんの思い出を詰め込むのだ。つまり、新しいことの発見とは、生きている時間を長くし、死への時間を遠のかせ、ある意味、不老不死の薬を摂取しているのと同じ現象であるということ。

歳を取ったからといって、何もかも諦めず、この歳でもといってチャレンジすることこそが大切なのだろう。

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