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短編小説『女たちの館』(無料版

※無料公開期間終了

【女たちの館 01】
 ぎしぎしと熱い日差しの下を歩いていく。
 こういう日は、普段持ち歩き慣れているはずの荷物でさえひどく重く感じる。
 暑い日は羽虫どもが元気になってそりゃあ鬱陶しいものなのだが、さすがにここまで熱いと虫どもでさえ飛び回る気になれないと見える。
「つまりこんな日におもてを歩いている僕は虫以下ってことか……」
 オライは流れ落ちる汗を拭いもせずつぶやいた。うねうねくねりながら続く道はヌイ村へ通じる間道で、話では行き来するひとも結構いると聞いていたが、さっきから誰とも会わない。
「祭の前日には村についていたかったんだけど……」
 やはりこんな日に昼間から道を急ぐなんて自分だけなのだとオライはため息をついた。
 足元に生えた雑草もげんなりとして勢いがない。これは早めに陽を避ける場所を見つけた方が良さそうだ。
 そんなふうに決めたオライはやがて広く伸びた枝に葉を茂らせた木の根元に腰を落ち着けた。
 一瞬前までの日差しの下と比べるとひんやりして感じるほど涼しい。
 日差しが弱まるまでここで過ごすことに決めて、水筒の水を飲む。木陰の外の地面はすっかり乾ききって真っ白に光っている。
「少し遅くなっても前日のうちには着けるんだから……」
 オライは暑さでぼんやりしながらつぶやいた。
 太陽はまだ高い。再び歩き出せるようになるまであとしばらくはかかるだろう。
 オライは自分の身体が斜めになっているのに気づいてはっと目を覚ました。どうやら休んでいるうちに眠ってしまったようだ。だがさほどの時間でもなかったらしい。木の下の影はいくらも動いていなかったし、影の外の地面は相変わらず目が痛くなるほどの陽に照らされていた。
 ふと、オライはそのまぶしい地面の一カ所に目を止めた。
 白い地面に対してそこだけ染みのような黒い点があることに気づいたのだ。しかもその点はわずかに動いて見える。オライは目を凝らした。
 蜂だった。それもまだら蜂、獰猛で強い毒を持っている種類だ。もともと蜂の中でも大型の方だが、地面に止まっているのはさらに大きい。オライ自身の手のひらより大きいかもしれない。
「それにしてもなんであんなところに」
 最初は捕らえた獲物でも食らっているのかと思ったがそのようでもない。
「暑さにやられたか」
 地面の上の蜂は弱っているように見えた。時折羽を羽ばたかせているが、とても飛び立つ力はない。まだら蜂とてもこの容赦のない日差しにはかなわないとみえる。
 剣呑極まる毒蜂も、このまま放っておけば、きっと死んでしまうだろう。あの一匹が死んだところで蜂というのはひとつの巣に何百匹もいるものだから、人間にとっても蜂どもにとってもどうということはないのだろうが……。
 蜂は日差しにあぶられながらじたじたともがいていた。ひどく苦しそうだ。羽の動きもさっきよりずっと力がない。
「……」
 見ているうち、オライの胸のうちになんとももやもやした気持ちがわいてきた。
「相手は虫じゃないか。それも毒虫だぞ?」
 しかしいったんわいてしまった気持ちを今更なかったことにはできない。オライはさらに2クリクほど迷ったあげく、のそ、と木陰を這い出た。
 オライが近づいていくと蜂は威嚇するように激しく羽をばたつかせた。だが続かない。すぐに動かなくなった。力尽きたらしい。それでもオライはまだ手を出しあぐねた。死んだふりをしているだけかもしれなかったからだ。
 ようやく意を決して彼は蜂に手を伸ばした。恐る恐るつまみあげる。
「刺すなよ……」
 オライは蜂を起こさぬようにそっと自分がいた木陰に運び入れた。
 自分から少し離れた場所に蜂を下ろすと、彼は水筒を取り出し、蜂の顔の前に何滴か水を落としてやった。この暑さで行き倒れるからにはきっと渇いているだろうと思ったのだ。蜂が行き倒れるということがあるかどうかはわからないが。
 考えてみれば、蜂が自分と同じように暑さにやられていたとは限らない。もっと別の理由があったかもしれないではないか。
 そんな考えをぼんやり弄んでいるうちオライは再び寝入ってしまったようだった。
 と、目を覚ますと女が覗きこんでいた。
 わっと驚いたものの、なんと声をかけたらいいかわからない。女の方も困ったような顔をしているばかりでなにを言うでもない。
 女はきつい目つきの、しかしまずまず美女と言っていい顔立ちをしていた。
 オライは戸惑った。
 なんで女が自分に興味を示しているか皆目わからない。
「あの……」
「礼をしたい」
「え?」
 意外過ぎる言葉に目を白黒させるオライにかまわず女は続けた。
「だが私にはどのようにすればよいのかわからない。おお母様であればわかるだろう。ともにおお母様のところに来て欲しい」
 いよいよもってオライには女の言っていることがわからない。これは夢を見ているのではないかと思うばかりだ。
 まくしたてる口調は途切れがちで、あまり喋ることに慣れていないぎこちなさがある。
「さあ」
 女はオライの承諾もないまま彼の手をつかむと引っ張り起こした。存外に強い力に立ち上がった彼はよろめいた。
「いったいどこへ?」
「おお母様のところだ」
 少々苛立った様子の女は彼をぐいぐいと引っ張っていく。
「お、おい……おい! おお母様って……礼ってなんのことだ。僕がいったいなにを……!」
 引っ張られながらオライは叫ぶ。その間にも周囲の景色はびゅんびゅんと過ぎていく。まるで飛んでいるようだ。
 やがて、気がつくとオライは自分が見知らぬ場所に立っていた。
「ここは、どこだ……?」

(掲載期間が終わりましたので)ここから先は、有料マガジン「空想海軍 短編小説集」でお楽しみください。


※期間限定・短編小説 について
 期間限定・短編小説では、とくにテーマも定めず私が「こんなの書きたいな」と思ったものをできるだけ短くまとめて書いていこうと思っています。
 掲載期間もとくに定めず、「次の短編がアップされるまで掲載」くらいに考えています。

 掲載終了後もマガジン「空想海軍 短編小説集」(こちらは有料)に載せておきますので、過去作が読みたくなったひとはそちらでよろしくお願いします。

「空想海軍 短編小説集」
https://note.mu/tanaka_kei/m/m5a2978bf4709

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