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【過去のお話】#0.01の世界

コンタクトが目の中で破れた。
3つに枝分かれした破片が目の中に散らばる。

小さい破片が目の外に出てきたのは事件が起きてから2時間以上後のことだった。

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「ぼやけた世界」

私は視力がかなり低い。
具体的な数値は計測できないが、"0.01" 未満だ。

日常生活ではコンタクトというフィルターを1枚通して世界を観ている。それを外してしまえば正確に物を見ることはできない。ぼやけた曖昧な視界が乱れて何重にも見える。眼科の先生は乱視が入っている入っていないだとか、ものみたいな表現をするがどんな仕組みになっているのかちゃんと説明を聴いたことはない。

そういえば眼科の先生は元気にしているかな。
高校からずっとお世話になっていた眼科の先生。少しオネエが混じった60代の坊主オネエ先生。先生はいつも決まって無茶を言ってくる。

「逆まつ毛が長くて目に入っているから、ビューラーを逆にして使いなさい。」

ビューラーなんて正しい使い方も知らないのに、逆にして使うなんて高度な使い方は男には到底できない。一度も実践をしたことがないので診療にいく度に同じことを言われる。まるで機械がする定期検診のように。

ここ1年くらいは会っていないから、また地元に帰ったら見てもらおう。

「はっきりとした世界」

視力が2.0あった時代はもう遥か昔になる。

中学2年生、13歳の出来事。

世の中にスマートフォンが現れた。

当時学校でガラケーを持っている人は半分くらいだったイメージなのでまだ携帯電話を持っていない人も多かった。私も持っていない側だったので、好きな女の子とは手紙交換をしていた趣深い時代だ。それはそれで満足していたのだが、相手はガラケーを持っていたのでメール交換をしたいとずっと言われていた。親に打診してやっとの想いでスマートフォンを買ってもらった時のことは今でも鮮明に覚えている。彼女とは夜通しメール交換をしながら、変なアプリに夢中になっていた。そんな生活を1年も続けていれば世界は着々と曇ってくる。見えていたはずのモノが遠くなっていく。中学を卒業する頃には黒板の字が鮮明に見えないようになっていた。メガネをかけるなんて死んでも嫌だったので中学は我慢してなんとか耐えたよな。眼が悪くなったなんて親に言いづらかったし、周りにもメガネをかけている人は少なかった。なにより、中学生にとってメガネはあまり良い印象を周りに与えない代物だった。

でも、我慢ができる時間はそう長くはない。

視力が一旦悪くなれば、落ちていくのは一瞬。
自転車でブレーキをかけながら慎重に下り坂を降りていたが、突然ブレーキが壊れて急速でくだっていく時のように視力はぐんぐん落ちていく。

高校に入ってすぐにメガネデビューを果たし、授業中にかけていた。2年生に進級する頃には日常生活に支障が出てきたので渋々コンタクトデビューをした。決め手は部活だった。私はサッカー部だったので夜遅くまで部活をやっていた。公立なのでナイター設備が充実しておらず、夜はとても明るいとは言えない環境でサッカーをしていた。ポジションはフォワードなので後ろからボールが飛んできて走ることが多い。高く上がって飛んでくるボールは途中で暗闇に消えてしまうので、自分の近くに突然ボールが現れたような感覚に陥る。おもしろかったが、現実問題致命的だったのでコンタクトを付けることを決意した。

それ以降は眼が悪いことを気にしなくなった。

「コンタクトの限界」

冒頭の話に戻るが、今日コンタクトが壊れた。

なぜそんなことが起こったかと言うと、
同じコンタクトを使い続けていた。

2weekという種類で、本来なら2週間しか使ってはいけないレンズを11ヶ月間使用していた。
製品の耐久力的な限界を迎えたのだろう。

東京に出てきてから眼科にいく暇もなかったし、コンタクトを自分で買うお金も惜しかったのでなんとなくずっと使ってしまった。

すごく眼が痛かった。失明するかと思った。

ここ最近眼の乾きがやばくて違和感を覚えていたが、そういうことだった。

いくら眼が悪いからといって、盲目ではない。

0.01と0は全く別だ。

歳をとるにつれて身体のあらゆる機能が退化していくのだろうが、大切にしよう。
少しでも長く正常な状態で使えるように。

眼は大事にしよう。そんな話。

以上。

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