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いま地方移住が注目される2つの理由【バリから始める地方創生(4)】

無いものねだり?地方移住の2つの理由


バリの日常

「なんであんたはバリが好きなのさ?」

「そりゃあこんなに素敵なところないよ。日本もいいけど緑あふれる景色も、日々のお祈りを欠かさないバリ人の暮らしも、毎日小さな感動を僕にくれるよ。」

「俺は20年以上バリに住んでるけど、見慣れりゃどれもただの風景だよ。俺にとっちゃ大都市日本の方が魅力的だぜ。日本人は変わってるな。笑」

まだ20代だったころのバリの友達との会話。えー、こんなにいいとこなのにもったいないなあと思いながら、どこか本質をついているような気がして覚えてます。

人はないものねだりをするんですね。

身長の低い人は背の高い人を、容姿に自信のない人は美しい人を、まじめな人は面白い人をうらやむ。うらやむのは悪いことじゃない気がするけど、うらやむあまり否定的になると相手も自分も苦しんじゃう気がします。(気がするけど、つい人を羨む器の小さい人間ですわたしは。)

さて、地方移住が注目されるようになって久しいですね。コロナ禍でそれが加速した向きもあるけれど、なぜ地方移住や田舎暮らしがこれほど求められるのかというと大きく2つの理由があると思います。

①効率重視の都会の限界

1つ目は都会暮らしの限界。都市というのは効率を考えられて発展していった空間。そこにあるもの全てに意図があり、街路樹やむき出しの土に至るまでが管理下に置かれています。

それはとても便利で暮らしやすいんですね。過疎の進んだ地域と比べるとわかりやすいですが、まず人がいるから仕事がある。そして交通手段がある、病院もある。インターネットやモバイルに至るまでサービスの選択肢がたくさんある。その競争によってレベルの高いサービスが受けられるし、公共施設の充実などもあり、実は田舎暮らしよりも生活コストが安かったりするんです。

ただ、そんな効率化された環境で生きるということは自身にもその効率化を強制されるようなもの。僕はバリに行くまで「将来をしっかり考えなきゃいけない、そのためにはこうじゃなきゃいけない」という見えない効率化の枠がずっとある様に感じてました。

人間もそもそも動物ですからそんな効率化のみに特化して生きることは不自然で苦しくなってしまい、その結果生まれるこんな疑問が。

「あれ?最高効率の生き方をできるようになったけど、そもそもなんのために生きてるんだろう?」

一方の田舎暮らしは自然とともにあります。すぐそこに山があり川があり。するとそこには虫がいて動物がいます。コントロールを外れた無駄なものと、ただ生きようとする小さな意志が存在する豊かな世界。

「生きる」の基本に近いのはおそらくこちらです。そこから「よりよく生きる」を追求した結果が都市なわけで、それに息苦しさを覚えた人間が基本の田舎暮らしに戻ろうとするのは必然な気がするのです。

②技術の発展

2つ目は技術の発展。田舎暮らしが不便であったからこそ人は都市部に集まり、過疎が進んだわけです。しかしインターネットが発達し、一人に一つのスマホ、SNSによる交流などが生まれたことで触れる情報も均一化され、都市部と地域との格差は埋まりつつあります。

僕が小学生の頃。安来のおじいちゃんの家に遊びに行った時、横浜から安来まではブルートレインという寝台車に乗っていきました。朝に目が覚めると車窓から雪景色が広がっていて感動した記憶があります。おじいちゃんは自転車のカゴに(カゴに!)僕を入れてカレー屋さんに連れて行ってくれたり、僕にとって島根行は楽しいイベントでした。

ただ当時一番の問題だったのがテレビチャンネルが少ない問題!

当時の記憶だとNHK以外に2チャンネルくらいしかなかったんじゃないかな?ドラゴンボールやらごっつええ感じやら毎週見ていた番組が見れないわけです。小さかった僕はその不便さに大きなカルチャーギャップを感じたものでした。

しかし今ではインターネットがあればテレビは何でも見えるし、Netflixなどで映画も楽しめるし、県外通話が法外な価格だったのも過去のこと。無料で県外の友達とも長電話でき、情報収集も交流もクリックひとつです。

さてそうなると果たして都会じゃないと暮らしていけないのか?という疑問が生まれます。わざわざ満員電車や排気ガスの中で暮らさずとも、忘れかけていたもっと自然に近い基本的な生き方をしてもいいんじゃないのか。

地方と都市の混ざり合う社会実験

こういった2つの理由が重なって地方移住が注目されていると思うんです。

それはつまり
「インフラと経済の不便さから離れた地方での暮らし」

「効率化に行き詰まりを感じた都市部での暮らし」
をしていた人が
「新技術によって生まれた今までにないライフスタイル」
を使って
「新しい人のあり方を、生きる基本に立ち返ることで見つける」
ための社会実験なんじゃないでしょうか。

おおげさなようだけど、そんな事も考えながらここで活動しております。今日は地方で挑戦することの意義について書いてみました。

日常雑記

三国屋泊!

先日バリ島時代からの友達が美郷町に遊びに来てくれました。住み始めの頃からの付き合いで、バリの文化を深く知りたいと現地のジャムウ(漢方的な)や民間療法、さらには島中のお祭りを渡り歩いていた方です。

今回は美郷町の薬草研究会のために講座を開いてくれたんですが、

「ジャムゥと同じものを日本で再現してもちょっと意味がない気がするんだよね。バリ人が周りの物を活かした結果がジャムゥなように、周りに生えている薬草とかいろんなものを活かして日本に合ったいいものが生まれたら、それはいいことだと思うんだよね。」

と言っていたのが印象的です。美郷町も気に入ってくれたようだし、また何か面白いことが起こるかも。遠くまで来てくれて感謝でした!






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